中御所発電所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 22:29 UTC 版)
「太田切川 (長野県)」の記事における「中御所発電所」の解説
1973年(昭和48年)のオイルショックを契機に、水力発電は国産エネルギー源として注目を集めることとなった。中部電力は中小規模水力発電所の開発を進めることとし、天竜川水系における開発の第一号として中御所発電所(1万200キロワット)を建設することとした。新太田切発電所のさらに上流に中御所発電所を設け、太田切川の水資源を余すことなく利用しようとするものである。 1976年(昭和51年)8月、中部電力は駒ヶ根市と宮田村に開発を申し入れた。工事区域の全域が中央アルプス県立自然公園(後の中央アルプス国定公園)に属しており、地元では景観や観光業への影響を懸念する声があった。特に観光シーズンである5月から10月までの期間は工事車両を通行禁止とするよう求めたが、交渉の末、工事車両の通行は期間の土曜日・日曜日・祝日以外に限るということでまとまった。天竜川漁業協同組合は取水ダムの魚道を改修するよう求め、中部電力はこれに応じることとした。灌漑用水の水温低下については温水ため池の設置が求められたが、結局減収分への金額補償が行われることになった。中部電力は当初、1977年(昭和52年)6月までに補償に関する交渉を終わらせる計画を立てていたが、全補償問題が解決したのは1978年(昭和53年)10月のことだった。 中御所発電所の建設工事は1978年(昭和53年)9月に着工した。中御所川・北御所川・黒川に取水ダムを建設し、発電所まで5.352キロメートルの距離を導水路で送水する。土砂や転石の多さから、取水口部分には水平スクリーンを設置。発電用水車には立軸4射ペルトン水車を採用し、厳しい気候条件を考慮して耐湿性・耐熱性を高めた長寿命設計とすることで、メンテナンスの省力化を図った。 標高の高い場所特有の厳しい自然環境下で風化した花崗岩が至るところで崩落しており、河川工事の最中は洪水や土石流に悩まされた。また、トンネル工事では断層・破砕帯にぶつかり、毎秒150リットルもの大量の湧水が工事の進捗を阻んだ。完成は1980年(昭和55年)9月で、工費は63億7,310万円であった。
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