中島・西部の対談
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中島と西部は、2008年7月17日に『パール判決を問い直す「日本無罪論」の真相』を講談社現代新書から発売した。中島は、小林の「恣意的に日本批判を切り取っている」という批判に対し、パールの日米開戦の主張をまとめた文書を再び出し「史料改竄の捏造犯」と呼ばれることに反発した。本文では、小林などに対する具体的反論は行われず「自称保守」に対する抽象的批判が中心となった。 小林は、この新書に対して最も痛烈に西部・中島を批判した自分への言及を避けておきながら、誰を指しているのか不明瞭な「自称保守派」を批判する態度を批判した。また、西部が「法と道徳は全く別物とする、パールの法理論の背後にある思想」としてハンス・ケルゼンの法実証主義があるとし、「法に道徳や慣習が関与する余地がないという形式主義を自称保守派が受け入れるというなら、「では、あなたたちの保守とは何なのか?」と問うてみたい。」と、自称保守派は近代主義者と批判したことに対し、小林は、ケルゼンが「法が道徳的であるべきだとの、即ち、善くあるべきだとの要求を排斥するのではない」(『純粋法学』28P)と、法と道徳が別物とは考えておらず、分離する理由は「そもそも『正義』とは『幸福に対する人としての永遠のあこがれ』ではあるが『一般に合理的認識によって到達し得ない』からである。もしも合理的認識によって基礎づけられる正義があるとすれば、法律が存在する意味がない。」と、「正義」に「合理的認識」によっては到達しないためであり、仮に到達するのであれば、立法自体が無意味というのがケルゼンの主張であると反論した。 中島は、ケルゼンは「事実(であること)」と「当為(であるべきこと)」を厳密に区別し、「当為」を法から除去しようとし、「その事実は制定法と判例であるというのが、ケルゼンの純粋法学」と説明したが、小林は、ケルゼンが「実定法において構成事実が互に結合されているところの特殊な様式をいやしくも把捉し、表現しようとするならば、この点において当為を欠くことを得ない(『純粋法学』44P)」と、実定法には「犯罪者は刑罰を受ける」という「事実」ではなく「犯罪者は刑罰を受けるべきである」という「当為」でなければならないと言っているとし、規範や当為を無視すれば「法律生活が日々表示されるところの幾千の言葉のすべてがその意味を失ってしまう」と主張、中島の説明とは正反対であると反論した。 同じく中島が、ケルゼンを批判し「Aという法は、どうして法律として妥当なのか」と問うた場合、ケルゼンの理論によると、「それはAという法の上位にある法に則っているからだ」と、最上位の法は「根本規範」に行き着き、それが何なのかは問われない、理論の根本が「ブラックホール」としたことに対して、小林は「最後には、一人の簒奪者又は任意に形成された団体によって発布された歴史的に最初の憲法に到達するであろう。(『純粋法学』106P)」と、国家の歴史に問うことがケルゼンの「根本規範」であると反論。「西部・中島が言うような『法と道徳は全く別物だ、法に道徳や慣習が関与する余地がない』などということは、パールもケルゼンも唱えていないし、そんなことを信奉している『自称保守派』など、どこにも存在しないのである。」と批判を行い、「他にも西部・中島は大量にインチキをしゃべっているが、それらは全て『パール真論』で論破したことの繰り返しだ。」とした
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