中島航空金属専用線
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1938年中島飛行機は現在の武蔵野市にエンジン工場を建設。武蔵野工場と名付けた。1943年9月には軍需工場の指定をうける。その関連施設として現在の西東京市谷戸に田無鋳鍛工場を建設した。1939年に独立し中島航空金属株式会社が設立される。当初鋳物製造に必要な砂を馬車で運んでいたが至近の東久留米駅まで線路 (2.84km) を敷設することを計画。1944年8月認可を受けている(正式名称は東久留米駅構外線)。小型の蒸気機関車(元熊延鉄道3号機)により砂を運んでいたという。しかし1年で敗戦を迎える。その後中島航空金属は清算会社瑞穂産業となり専用線用地を京王帝都電鉄に売却しようとする。これに対し西武鉄道は無断で専用線を売却することに抗議。ついに訴訟に持ち込まれることになる。結局は和解により売却話はなくなった。
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