両線統合後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:58 UTC 版)
1932年(昭和7年)10月1日:湧別線の遠軽 - 下湧別間を名寄本線に編入し、名寄本線(名寄 - 遠軽間、中湧別 - 下湧別間)に改称。 1934年(昭和9年)2月5日:社名淵駅を開盛駅に改称。 1935年(昭和10年)6月1日:中湧別 - 下湧別間でガソリンカー運転開始。 1947年(昭和22年)2月11日:豊野仮乗降場を新設。 9月10日:旭仮乗降場を新設。 9月21日:中名寄仮乗降場を新設。 12月25日:二ノ橋仮乗降場を新設。 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に移管。 1950年(昭和25年)1月15日:中名寄・二ノ橋・豊野の各仮乗降場を駅に変更。 1954年(昭和29年)11月10日:下湧別駅を湧別駅に改称。 1955年(昭和30年)12月1日:一区中通仮乗降場を新設。 12月25日:一本松・厚生病院前・四号線の各仮乗降場を新設。 1956年(昭和31年)4月30日:幸成仮乗降場を新設。 5月1日:弘道仮乗降場を新設。 9月1日:秋里・富丘の各仮乗降場を新設。 9月20日:旭仮乗降場を駅に変更。 10月30日:矢文・岐阜橋の各仮乗降場を新設。 1957年(昭和32年)1月27日:キハ12形気動車導入により客貨分離。 8月1日:川西仮乗降場を新設。 11月1日:北興仮乗降場を新設。 12月3日:班渓仮乗降場を新設。 1959年(昭和34年)4月20日:六興仮乗降場を新設。 11月1日:潮見町駅を新設、矢文・岐阜橋・北興・川西・共進(←一区中通)・北遠軽(←学田)の各仮乗降場を駅に変更。 1961年(昭和36年)3月20日:瀬戸牛駅を西興部駅に改称。 1962年(昭和37年)10月1日:中湧別 - 湧別の旅客列車がそれまでの5往復から2往復に削減される。 1966年(昭和41年)10月1日:厚生病院前仮乗降場を廃止、北湧仮乗降場を新設(厚生病院仮乗降場の代替)。 1978年(昭和53年)12月1日:中湧別 - 湧別の貨物営業を廃止。中名寄・上名寄・二ノ橋・中興部・宇津・小向・沼ノ上・開盛の各駅の荷物取扱を廃止し旅客のみ取扱とする。 1984年(昭和59年)2月1日:一ノ橋・西興部・上湧別・湧別・渚滑の各駅の荷物取扱を廃止し旅客のみ取扱とする。 1985年(昭和60年)8月2日:第2次特定地方交通線として廃止承認。 1986年(昭和61年)11月1日:名寄 - 紋別間の最終を1時間以上繰上げ。 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に移管。全線 (143.0km) の貨物営業を廃止。幸成・六興・旭ヶ丘・富丘・一本松・弘道・北湧・四号線の各仮乗降場を駅に、班渓仮乗降場を臨時駅に変更。 12月1日 班渓臨時駅を駅に変更。 1989年(平成元年)5月1日:全線 (143.0km) を廃止し、バス路線に転換。
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