世界分割に対する反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 00:57 UTC 版)
「デマルカシオン」の記事における「世界分割に対する反論」の解説
教皇勅書の恩恵に与れない、またはその権威を認めない第三国にとって、スペイン・ポルトガル2国による世界分割論は国際法上の基盤を持たない空論に等しく、両国間で定められた取り決めには、他国の人間からの反発もあった。非キリスト教世界の権利を無視した分界の取り決めは、キリスト教圏のヨーロッパに限定しても第三国を拘束する力は無く、教皇勅書の権威も宗教改革の時代には先細りとなっていた。 イングランド王ヘンリー7世は、1496年3月3日にジョン・カボットに「北・東・西」のいずれの方向であれ「キリスト教徒にとって未知」の土地を目指す航海の特許状を与えた。これはスペイン・ポルトガルによってすでに「発見」された土地・航路はその権利を容認する一方で、将来の発見に関しては両国による排他的な分配を否定するもので、第三国による最初の反分界宣言だった。 フランス国王フランソワ1世の 太陽は他者と同様に我にも暖を与え賜う。アダムがいったいどのようにして世界を分割したというのか。その遺言をこの目で見たいものだ。 という発言は、第三国による分界を否認する言葉として引用され、フランスは実効支配した者に所有権を与える「専有物保留の原則」を支持した。 オランダの法学者フーゴー・グローティウスはポルトガルの東インド貿易の独占に反対し、それはすべての国民に対して自由であらねばならないと説いた。そして通商の自由の根拠として海洋の自由を論じ、『自由海論』(1609年刊)で、 ポルトガルが東インドに行くまでの海と東インドそのものに対して独占権・支配権を有するという主張は、発見(先占)によっても、ローマ教皇の贈与によっても、戦争によっても成り立たない。万民法・自然法上、海は無主物・共有物・公物と呼ぶべきもので、私的所有の対象とはならない 東インドへの航海を最初に行なったとしてポルトガル人が先占権によりその海洋に対する支配権を主張しても、世界中の海は大抵過去に誰かによって航海がなされているから、その論は成り立たない 教皇の贈与によってポルトガルが東インドに支配権を有するというが、教皇は全世界の世俗的支配者ではなく、異教徒はカトリック教会に属していないので教皇は彼らに対して何の権限も有しない 教皇がイベリア両国に対して行なった分割の決定は2国間だけのことで他国には関係がない ポルトガルが発見(先占)によって東インドに対して支配権を持つという論は、東インドは既に独自の国家・王・法を有していること、ポルトガルは東インドに守備隊を置かず、占領しているという実績があるわけではないので、成り立たない ポルトガルが戦争により東インドの支配権を得たと主張するが、貿易を妨げられたわけでもなく、キリスト教を信奉しないというだけでは戦争を正当化する理由にならない などの論理を展開して、イベリア両国の東西インド領有体制を批判した。
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