下田市指定文化財
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「伊古奈比咩命神社」の記事における「下田市指定文化財」の解説
有形文化財御正躰(みしょうたい)1面(工芸品)金銅製(銅製鍍金)、直径15.2センチメートル、厚0.1センチメートルの薄い円形板。文字、尊像などは見られないが、当初は墨画があったと考えられている。「施主忌部能次 大歳嘉禄元年(1225年)十二月日乙酉 若宮御正躰」という鎌倉時代の銘文を持つ。この御正躰は、文化9年(1812年)9月、境内裏山にあった神木「命の松」(昭和41年に倒木)の根元から掘り出されたと伝える。昭和56年8月7日指定。 水草双鳥鏡(工芸品)青銅鋳製、表面径10.7センチメートル、縁厚0.7センチメートル。背面には、捩菊(ねじりぎく)文様座鈕を中心として、上下に水流と水草、左右に双鳥の文様が薄肉で表現されている。鋳上りも優れており、平安時代後期の典型的な和鏡とされる。この水草双鳥鏡は、文化9年(1812年)9月に御正躰とともに掘り出されたと伝える。昭和56年8月7日指定。 亀甲地双雀鏡(工芸品)青銅鋳製、表面径11.4センチメートル、縁厚0.7センチメートル。亀甲地で、亀座鈕の近くには双雀を配している。鎌倉時代後期の作とされる。この亀甲地双雀鏡もまた、文化9年(1812年)9月に御正躰とともに掘り出されたと伝える。昭和56年8月7日指定。 山吹双鳥鏡(工芸品)青銅鋳製、表面径11.4センチメートル、縁厚0.7センチメートル。花形中隆鈕(はながたちゅうりゅうちゅう)で、全体には山吹を散らし、その中に双鳥を配した文様がやや肉高に鋳出されている。鎌倉時代の作とされる。この山吹双鳥鏡もまた、文化9年(1812年)9月に御正躰とともに掘り出されたと伝える。昭和56年8月7日指定。 薬師如来坐像(彫刻)一木割矧造、彫眼で、像高86.2センチメートルの薬師如来像。明治の廃仏毀釈で解体されたのち復元されたもので、現在は漆塗りとなっている。薬師如来は、三嶋神の本地仏とされている。縄を巻いたような特異な頭髪の表現は、京都清凉寺の釈迦如来像に代表される、鎌倉時代以降に流行した様式である。また、やや面長で男性的な独特の表情には宋風彫刻の影響が色濃く見られ、鎌倉後期の彫刻の特徴を有している。昭和56年8月7日指定。 佐野北条氏忠朱印状(古文書)楮紙の折紙で、縦29.0センチメートル、横56.5センチメートル。天正11年(1583年)に、北条氏忠(佐野氏忠)から白浜郷名主百姓中に下された年貢の割付状である。裏面には、江戸時代後期に藤井伊予(昌幸)の依頼を受けた伴信友(国学者)の考証が記されている。戦国時代の貢祖納入の実態を知る上で貴重な文書とされる。昭和60年12月23日指定。 史跡火達山遺跡 - 昭和49年3月20日指定。 無形民俗文化財三番叟(さんばそう)「日の出三番叟」や「神さんば」とも呼ばれる。民俗芸能として、今から約300年前から奉納されてきたという。例祭日の早朝に、原田・長田・板戸の氏子部落の青年が1年交替で奉納する。昭和48年6月12日指定。
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下田市指定文化財
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今村伝四郎等三代の墓境内墓地入口に建つ三基の五輪塔は、それぞれ第二代下田奉行今村正長、同四代今村正成、同五代今村正信の墓で、江戸時代初期の物。なお五輪塔脇に立つ小さい墓は今村正長妻のものとされている。
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