上松発電所の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 07:20 UTC 版)
寝覚発電所と下流桃山発電所の間の木曽川には、景勝地「寝覚の床」がある。桃山発電所の建設時、計画では寝覚の床の上流側で取水する予定であったが、景勝地保存のため付近での水の利用を取り止め、その取水口を下流側に設置していた。 寝覚・桃山間が大同電力時代には開発されなかったため、ここには約23メートルの未利用落差が残った。太平洋戦争開戦後、電力拡充のためこの区間にも開発の手が及び、1943年(昭和18年)8月、逓信大臣より日本発送電に対し上松発電所建設命令が発せられた。着工は同年10月で、1944年(昭和19年)12月末までの竣工を目指し工事が進められたが、戦時下にあって資材・労力の不足が続いた。労力については近隣町村からの勤労報国隊や学徒勤労隊の動員によってかろうじて補給したが、資材不足で工事は進まず、1945年(昭和20年)3月にはついにセメントの入荷が皆無となってしまった。 終戦により工事は一旦停止されるが、戦後の電力不足によって翌1946年(昭和21年)3月商工大臣より工事続行命令が発せられ、冬の渇水に間に合わせるため12月末までの竣工を目標に工事が再開された。竣工を急ぐため導水路トンネル工事では大部分でコンクリート巻き立てを省略したが、12月に洪水で水路が一部崩壊する事故が発生、復旧のため運転開始は1947年(昭和22年)2月13日となった。その後4月より9月末まで河川敷内の開渠区間を暗渠に改修する工事を実施し、1949年(昭和24年)2月からはトンネル無巻部分の巻き立て工事を施工、8月10日に竣工させた。後者の工事に伴い、発電所出力は運転開始時の6,500キロワットから8,000キロワットに増強されている。
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