上板中学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/20 18:39 UTC 版)
1960年4月11日、3中学校を統合し、「板野郡上板中学校」が発足したが、まだ新校舎予定地の買収をしているい段階で、授業は従来通り旧3中学校の校舎に分かれて行なわれた。1962年6月1日、第一期、第二期工事が完成し、新校舎での授業が始まった。この時期1962年野球部が県下で優勝、1965年陸上部優勝、稲岡美千代が走り高跳びで日本中学新記録を出すなど運動部が活躍した。1970年から'72年まで、および1975年から翌年にかけて、文部省から同和教育研究指定校に指定された。1981年体操部が四国大会で優勝し全国大会3位。翌年も四国大会で優勝し全国大会4位となった。 近年では、野球部が県下複数の大会で優勝、また、2018年の全日本少年軟式野球大会四国予選で準優勝など、県大会に留まらず著しい活躍を見せている。その他の運動部では、柔道部は県下で優勝、個人では全国大会出場者を輩出、陸上部は県大会での上位入賞者、四国大会出場者を多数輩出、ジュニアオリンピック出場者も輩出している。文化部では、吹奏楽部が県大会で金賞を複数回受賞している。その他、部活動以外でも、県英語弁論大会で最優秀賞を受賞、全国大会に出場した者を複数回輩出しており、様々な面で活躍している中学校と言える。 一方で、近年は上板町長による体育館建て替え工事での官製談合事件、技術教師の強制わいせつ事件など、不祥事も発生している。
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