三船敏郎の途中降板
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 08:09 UTC 版)
「御用金 (映画)」の記事における「三船敏郎の途中降板」の解説
当時三船プロ制作部部長の田中寿一は、この時期三船は多忙を極め、疲労の極地であったため、出演依頼が来たときに大反対したというが、三船敏郎は引き受けてしまった。しかし撮影は真冬の下北半島での極寒の長期ロケであった。撮影何日か目に、三船は後ろ手に縄で縛られ、雪の中に転がされるシーンがあった。 その日の撮影が終了し宿に引き上げ、夕飯時に仲代達矢が三船の部屋を訪ねて酒を酌み交わしていたが、酔うにつれて三船と仲代と口論となり、その夜のうちに三船は夜行列車で帰ってしまった。慌てた現場スタッフが東宝やフジテレビの上層部に連絡し、幹部たちが上野駅で三船を迎え待つが、三船は口もきかずに自宅に直行。幹部は三船邸にも赴いたが門前払いであった。 三船の酒癖の悪さを知っていたスタッフたちは、酒の酔いが醒めて数日もすれば、現場に戻ってくれるものと楽観視し、幹部も三船を説得していたが、「あんな寒いところごめんだ」と三船は拒み続けた。すでに三船の出番の80パーセントは撮っていたが、三船は戻らなかった。映画自体が潰れる危機となり、仲代は責任を感じて、「土地を売ってでも製作費をお返しします」と申し出る事態となり、五社英雄監督は「モヤ、大丈夫だ。お前が謝ることはないよ」と仲代を励ました(「モヤ」は仲代の愛称)。 やがてマスコミが三船の降板を嗅ぎつけて騒ぎ出し、週刊誌やスポーツ新聞に「三船敏郎・仲代達矢が大喧嘩して撮影中断」という記事が躍ったり、両者出演のCMを引き合いに「アリナミンvsポポンS」などと面白おかしく煽ったりしていた。 仲代は友人関係にあった中村錦之助に三船の代役を引き受けてもらおうと直接頼んだ。錦之助は、「ああ行ってやらあ!」と快く引き受け、騒動は無事に落ちついた。下北半島にやって来た錦之助は、「おい、随分と寒いところに連れてきたなあ、モヤ。寒くて演技どころじゃないよ。みんなよくやってるよなあマジメに」と言って周囲を笑わせ、疲弊していた現場スタッフを明るくさせてくれたという。 一方その後、三船は降板して迷惑をかけたことで落ち込み、五社監督と東宝に謝罪をした。マスコミには、「胃潰瘍」の診断書を公開し、体調不良による降板と説明した。 丹波哲郎によると、『御用金』の撮影の頃の三船は、黒澤明と決定的に仲が悪化していたという。そして『御用金』のロケ先の宿で仲代と三船が酒を酌み交わしている時に、三船が黒澤監督の悪口ばかり言っていたので、黒澤組常連の仲代がとうとう怒ってしまい、三船を旅館中追いかけ回した。喧嘩の実力では仲代が三船より上だった為、三船はそのまま東京に逃げ帰り、結局そのまま降板してしまったのだと丹波は語っている。その後和解はしたものの、黒澤明、岡本喜八作品の多くを彩ってきた両者の共演は、三船と両監督が疎遠になったこともあり途絶えてしまう。同年夏の「日本海大海戦」での絡みのない共演を経て、10年後の「二百三高地」クライマックスでの明治天皇と乃木大将という形で久々に同一画面に登場。これが最後の共演となった。
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