ヴィシー政権から第二次大戦以後(1940年 - 現在)
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「レジティミスム」の記事における「ヴィシー政権から第二次大戦以後(1940年 - 現在)」の解説
歴史家ルネ・レーモンのフランス右翼に関する研究によれば、レジティミストたちはヴィシー政権期に政治的な重要性を回復することが出来たという。レーモンに言わせれば、彼らのうちのある者はアルジェリア戦争(1954年 - 1962年)において秘密軍事組織を支援していたし、マルセル・ルフェーブルが1970年に創設した聖ピオ10世会は、特にフランス支部に関して、レジティミスム運動に共感しているという。 ブルボン家「嫡系」の王位請求を支持する集団は第二次世界大戦後に強大化した。その原因としては、まずオルレアン家の王位請求者であるパリ伯アンリが政治的に左翼であったこと、そしてブルボン家「嫡系」の王位請求者であるセゴビア公ハイメ(スペイン王アルフォンソ13世の廃嫡された次男で、カルリスタ王位請求者の後継者の一人として扱われた)によるフランス王位に対する積極的な請求活動があった。そして1980年代までに、ハイメの息子であるカディス公アルフォンソはレジティミストの支持を獲得し、ついにブルボン家嫡系の当主として、自分の支持者たちに「レジティミスト」の政治的党派名を返還するように求めたのである。こうした経緯から、スペイン生まれでアンジュー公を名乗るルイ・アルフォンス・ド・ブルボン(カディス公の次男、スペイン語名はルイス・アルフォンソ・デ・ボルボン・イ・マルチネス=ボルディウ)が現在のレジティミストの王位請求者であり、フランスのレジティミストたちにとっての正統なフランス王「ルイ20世」ということになる。1987年、オルレアン家の相続人(および嫡系以外のブルボン家の人々)は、ルイ・アルフォンスと「アンジュー公」を名乗る権利を争い、また彼がフランス王家の紋章を使うのをやめさせるために訴訟を起こしたが、これらの訴えは1989年3月に共和国裁判所によって棄却された。アンジュー公ルイ・アルフォンスは、父方の祖母を通じてフランスの市民権を有しており、また一般的にカペー家の正統かつ嫡系の家長と見なされている。 2006年、フランスのカトリック教会の極端な伝統主義者たちの一派は、教皇ベネディクトゥス16世の神学面での保守性に非常に勇気づけられた。レジティミストたちは欧州憲法に拒絶反応を示しており、フランスの独立を脅かすと認識したものには何であれ強く反対している。現在のレジティミストたちは、その考え方や意見も多様といえる。パリのサン・ニコラ・ドゥ・シャルドネ教会に集まる伝統的カトリック教徒と一緒に行動するような宗教的な人々もいれば、マリーヌ・ル・ペンの国民連合やフィリップ・ド・ヴィリエのフランス運動の集会に顔を出す政治的な人々もいる。その他の多数派は立憲君主主義者で、スペインやイギリスのような憲法と議会をもつ君主政体をフランスにも導入すべきだと考えている。
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