セゴビア公(1964年 - 1969年)
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「カルリスタ王位請求者の一覧」の記事における「セゴビア公(1964年 - 1969年)」の解説
アルフォンソ13世の次男セゴビア公ハイメは、1933年に王位継承権を放棄してスペイン王家の家督を弟のバルセロナ伯フアンに譲っていたが、1949年に王位継承権を再主張、1964年にカルリスタ派の支持を受け入れることを宣言し、ハイメ4世と称した。しかしフランシスコ・フランコがバルセロナ伯の長男フアン・カルロスをスペイン王位継承者に決めると、ハイメは長男アルフォンソの勧めに従い、フアン・カルロスを正統なスペイン王として支持し、1969年7月19日にスペイン王位請求を取り下げた。これ以降ハイメ及び後継者はカルリスタの王位請求を行っていない。ハイメを支持したカルリスタはごくわずかだったが、支持者の中には"カルロス7世"の子供の中で最後まで生き延びていたアリシア・デ・ボルボン(1876年 - 1975年)がいた。ハイメとその直系子孫はレジティミストの支持するフランス王位請求者の地位をも受け継いでおり、レジティミストの大多数の支持を得ている。 肖像請求者生没年付記 "ハイメ4世"(ハイメ・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ)1964年5月3日 - 1969年7月19日 1908年6月23日 - 1975年3月20日 セゴビア公。カルリスタ王位請求者としてはマドリード公、フランスのレジティミスト王位請求者としては、アンジュー公の称号で呼ばれた。
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