ワスプの艦長として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 14:00 UTC 版)
「フォレスト・シャーマン」の記事における「ワスプの艦長として」の解説
1942年5月、大佐に昇進したシャーマンは空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) の艦長に就任する。シャーマンのワスプは大西洋から太平洋方面に回航され、7月1日にサンディエゴを出撃してソロモン諸島方面に向かった。シャーマンのワスプはスターク時代の海軍作戦部で通信部長だったレイ・ノイズ少将の第18任務部隊に属し、ガダルカナル島の戦い劈頭のフロリダ諸島の戦いでは戦闘機を飛ばしてツラギ島上陸部隊を援護し、結果的には中止されたが、第一次ソロモン海戦で勝利した三川軍一中将の日本艦隊の追撃を行っていた。8月24日の第二次ソロモン海戦は燃料補給の都合で不参加だったが、第二次ソロモン海戦でエンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) が、直後に日本海軍の潜水艦伊号第二六潜水艦(伊26)の雷撃によりサラトガがそれぞれ損傷して戦線離脱した後は後詰で合流してきたホーネット (USS Hornet, CV-8) とともに制空権の維持に努めた。 9月15日、午前の対潜哨戒で飛び立った航空機を収容するため、シャーマンはワスプを風向きに合わせて西、次いで南東方向に針路を変えて収容作業に取り掛からせる。だがそのころ、伊号第一九潜水艦(伊19)は南東方向に向けて潜航中だったが、遠方に反航するワスプを発見して距離を詰めようと反転する。そしてワスプが西および南東に針路を変えたことは、伊19に絶好の攻撃機会を与えることとなった。伊19は針路を変えるワスプに合わせて攻撃位置につき、11時45分に魚雷を6本発射。午後の対潜哨戒準備のため再び針路を変えつつあったワスプの見張員が魚雷を発見し、これを受けてシャーマンは面舵を命じるが間に合わず、魚雷のうち3本がワスプに命中した。命中箇所は悪く、ガソリンや弾薬が次々と爆発を起こしてワスプは火に包まれた。シャーマンは消火作業を行わせようとしたが火勢がすさまじく、最終的には総員退艦を令しなければならなかった。シャーマン以下ワスプ乗組員、またノイズら第18任務部隊の幕僚は護衛の駆逐艦に救助され、ワスプは駆逐艦ランズダウン(英語版) (USS Lansdowne, DD-486) の魚雷により処分された。 合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長のキング大将は、艦船を沈めた者には昇進を遅らせるなどの罰をもって対処する方針を採っていた。これを踏まえれば、シャーマンのキャリアもワスプの沈没により一巻の終わりとなるはずであった。
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