ローマ字会とは? わかりやすく解説

ローマ字会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 08:48 UTC 版)

ローマ字論」の記事における「ローマ字会」の解説

1885年明治18年)にローマ字推進する団体として矢田部良吉外山正一その他によって「羅馬字会」(ろーまじかい)が創立された。ふたりのほかに、山川健次郎北尾次郎寺尾寿松井直吉隈本有尚創立委員であった明治20年ころには会員7000をこえ、同年4月ローマ字書き綱領決定され6月機関誌として『Rōmaji Zassi』が月刊された。 羅馬字会はローマ字綴りとしてヘボン式ローマ字採用したが、会員一人物理学者田中館愛橘が、五十音図に基づくローマ字綴り(のちの「日本式ローマ字」)を提案。しかし会では採用至らず田中館は羅馬字会を離れたヘボン式日本式との長い対立は、ここから始まっている。 1905年明治38年)、ローマ字論者の大同団結を図る組織として「ローマ字ひろめ会」(RHK) ができ、綴り会員各人の自由とされた。しかしその後、会としてヘボン式採用した。 そのため、日本式論者は「ローマ字ひろめ会」を離れ1921年大正10年)「日本ローマ字会」を組織した日本ローマ字会は日本式ローマ字普及推進活動行ったほか、1909年出版部門として「日本ローマ字社」(NRS) を設立、会の機関誌『Rômazi Sekaiローマ字世界)』や寺田寅彦著『Umi no Buturigaku(海の物理学)』などのローマ字書き書籍出版した田中館の弟子で、田中とともに日本ローマ字会の中心人物となった物理学者田丸卓郎著したローマ字国字論』は、戦前・戦後通じてローマ字論者のバイブルと言われる1924年第15回衆議院議員総選挙では、ローマ字での投票認められた。 ヘボン式日本式という二様ローマ字綴り存在する問題解決すべく、昭和初期に「臨時ローマ字調査会」が設置され1936年昭和11年答申出された。この答申盛り込まれローマ字綴りは、内閣訓令として制定されたことから「訓令式ローマ字」と呼ばれている。日本ローマ字会はこれに賛成ローマ字ひろめ会は反対した。 第二次世界大戦後日本ローマ字会と日本ローマ字社は分かれ前者京都を、後者東京本拠とする訓令式ローマ字推進団体となった1990年代には、日本ローマ字会の会長梅棹忠夫日本ローマ字社の理事長柴田武就任。2団体大同団結図られ合同大会開催されるまでになった。 なお、和文タイプライター欧文タイプライター比べ入力煩雑専門技能不可欠であり、これはローマ字論後押しする一つ根拠となった。しかしその後日本語ワードプロセッサ開発されたことにより、IMEによる日本語変換煩雑さは残ったものの、入力問題については解決することとなった

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