国語国字論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:49 UTC 版)
上記論争は様々な影響を残したが、それ以外にも見逃せない論争がある。たとえば創刊号において掲載された国語国字論争がそうである。自国の言語をどう表記するかということ、つまり国語国字問題は、文明開化を推進するにあたって、遅れた文明とされた東洋文明から離脱し、西洋文明に仲間入りする方法の一つとして論じられた。中国文明の影響を脱すること、文字を簡単にして読めない人を無くし文明化をはたすというのが、その理由であった。明六社誕生以前、まずこの問題について意見表明したのは前島密で、彼は漢字を廃止し、平仮名を英語のように分かち書きにすることを提唱した。しかし、『明六雑誌』創刊号に掲載された西周の「洋字を以て国語を書するの論」は、より過激であった。漢字どころか仮名文字も廃し、「洋字」すなわちアルファベットを用いたローマ字で日本語を表記すべきと主張した。西欧言語習得が簡単になること、翻訳の際、西欧学問の用語をそのまま、つまり適切な訳語を作る苦労無しに、移入できることを理由とした。 これに対し西村茂樹は同じ号で、表記をどうするかは開化が進めば論ずればよく、今は教育などを優先すべきと反論した。また清水卯三郎は、前島密と同様平仮名を用いるべきとの論説を発表した(第七号)。これは一般民衆にも知られているからという理由からであった。しかし雑誌内ではこれ以上の議論にはならず、他の同人からの論説は掲載されていない。ただどちらの説もその後受け継がれていった。まず仮名文字表記論の方は清水が、大槻文彦らと1883年(明治16年)に「かなのくあい(かなの会)」を設立し、精力的に運動を展開した。発足当時200名だった会員は、翌年には2000名を超える会員を獲得した。またローマ字表記論は1884年(明治17年)「ローマ字会」が設立された。
※この「国語国字論争」の解説は、「明六雑誌」の解説の一部です。
「国語国字論争」を含む「明六雑誌」の記事については、「明六雑誌」の概要を参照ください。
国語国字論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/31 07:45 UTC 版)
中華思想から脱却し西洋文明に入るために漢字を廃止するアイデアに関して国語国字論争が起こった。例えば、1866年(慶応2年)に前島密は漢字を廃止し平仮名だけで日本語を表記する建白書『漢字御廃止之議』を徳川慶喜に上申したとされる。また、西周は1874年(明治7年)に『明六雑誌』創刊号に掲載した「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」において、「洋字」、すなわちアルファベットを用いたローマ字で日本語を表記すべきと主張した。
※この「国語国字論争」の解説は、「脱亜思想」の解説の一部です。
「国語国字論争」を含む「脱亜思想」の記事については、「脱亜思想」の概要を参照ください。
- 国語国字論争のページへのリンク