レースとその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/29 19:35 UTC 版)
「コジマ・KE007」の記事における「レースとその後」の解説
午前8時30分からのフリー走行にKE007が出走すると、観客席からは拍手が起こった。しかし、急造のためモノコックのリベット打ちのずれを修正する余裕がなく、正しいアライメントをとることができなかった。モノコックがねじれていたため直線でも右に曲がってスピンしそうになるような状態で、ステアリング・ギアボックスもロックして操縦が困難だった。また、解良は長谷見に黙っていたが、わずかにガソリン漏れも起こしていた。決勝は大雨の中でのスタートとなったが、仮にドライコンディションであれば走行スピードも上がるため、出走をキャンセルすることも考えていたという。 長谷見は10番グリッドからスタートし、オープニングラップを14位で通過。日本ダンロップの深溝レインタイヤの性能もあり、6周目には再び10位に浮上した。しかし、雨が止むとタイヤのトレッドが剥離し始め、25周目にピットインして新品のレインタイヤに交換。33周目にはドライ用のスリックタイヤに履き替え、最終的には優勝者のアンドレッティから7周遅れ、完走車の最後尾となる11位でチェッカーを受けた。長谷見はリタイアせず走り続けた理由を「無報酬にもかかわらず徹夜でクルマを修理してくれたみんなのためにも、完走だけはしたかった」と語っている。 なお、F1公式サイト"Formula1.com"では長らく長谷見がこのレースのファステストラップ(1分18秒23)を記録したとされてきたが、国内レースを統括する日本自動車連盟 (JAF) の記録ではジャック・ラフィット(1分19秒97)とされている。レースから40年余り後の2017年にF1公式サイトでもラフィットに訂正された。(詳細は1976年F1世界選手権イン・ジャパン#エピソードを参照)。 コジマは予選のクラッシュの原因を確かめるため半年後に富士でテスト走行を行い、カヤバ工業の協力により無線でデータを収集した結果、フロントサスのアッパーアームの強度が不足していることが判明した(テスト中にはヘアピン出口でアームが折れた)。チームは予選タイムを良くても1分13秒台と見積もっていたが、予選用タイヤの投入で想定よりもスピードが上昇した結果、そのストレスに耐えられなかったものとみられる。後継マシンのKE009ではアームの素材をステンレスに置き換えて補強した。
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