レーザーの発明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/21 06:32 UTC 版)
「ゴードン・グールド」の記事における「レーザーの発明」の解説
1957年までにタウンズ含む多くの科学者が可視光のメーザーのような増幅を実現する方法を探していた。その年の11月、ファブリ・ペロー干渉計の形で2つのミラーを使うことで適切な光共振器を作ることができることを実現した。これまで考えられていた設計とは異なり、このアプローチは狭くコヒーレントで強いビームが得られる。空洞の側面は反射する必要がないため、利得媒質は必要な反転分布を得るために簡単に光学的に励起することができる。グールドは原子レベルの衝突による媒質のポンピングも検討し、このようなデバイスの多くの潜在的用途を予想した。 グールドは実験室のノートに、解析を記録し応用を提案し、"Some rough calculations on the feasibility of a LASER: Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation"(LASER、誘導放出による光増幅放射の実現可能性に関するいくつかの大まかな計算)という題をつけた。これはLASERというアクロニムが初めて使われた記録である。グルードのノートは実現可能なレーザーを作るために最初に書かれた処方箋であり、手に持っていたものを実現し、この研究を公証してもらうために近所の店に持って行った。アーサー・ショーローとチャールズ・タウンズは独立にファブリ・ペロー空洞の重要性を発見し(約3か月後)、結果として提案したデバイスを「光メーザー」と呼んだ。このデバイスに対してグールドがつけたLASERという名称は1959年の学会発表で初めて一般に紹介され、ショーローらの抵抗があったが採用された。 グールドは、この発明の特許を取得することを強く望み、そのためには作動するレーザーを作る必要があると誤った考えを持っていたため、博士号を取得せずにコロンビア大学を去り、民間の研究会社TRG (Technical Research Group)に入った。彼は新しい雇用主を説得し研究を支援してもらい、皮肉にもチャールズ・タウンズの支援を得て国防高等研究計画局からプロジェクトの資金を得た。グールドにとっては不運なことに政府はこのプロジェクトを機密としたため、このプロジェクトに取り組むには機密取り扱い許可が必要となった。以前に共産主義活動に参加していたため、許可を得ることができなかった。TRGで働き続けたが、自分の考えを実現するためのプロジェクトに直接貢献することはできなかった。技術的な困難さとおそらくグールドが関わることができなかったために、TRGは初の動作するレーザーの作成のレースで、Hughes Research Laboratoriesのセオドア・メイマンに敗れた。
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