ルイ・パスツールと狂犬病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 21:08 UTC 版)
「ウイルスの社会史」の記事における「ルイ・パスツールと狂犬病」の解説
狂犬病は、狂犬病ウイルスが哺乳類に感染することで引き起こされる致死性の高い病気である。21世紀では主にキツネやコウモリなどの野生の哺乳類が感染する病気であるが、最も古くから知られているウイルス病の1つである。英語の rabies という語は紀元前3000年頃のサンスクリットで「狂気」「憤怒」を意味する rabhas に由来し、この病気は4000年以上前から知られている。狂犬病と思われる記述は古代メソポタミアの文献、紀元前2300年頃のエシュヌンナ法典にも見つかる。古代ギリシアでは「狂気」を意味する lyssa または lytta と呼ばれていた。アリストテレス (紀元前384–322) の記述は、この病気について明確に記載した最古の例の1つであり、病気がどのように人間へ伝えられたかが記述されている。1世紀にケルススは恐水病 (hydrophobia) と呼ばれる症状について記録した。彼は、感染した動物やヒトの唾液に粘液状の毒か何かが含まれていることを示唆し、これを記述するために「ウイルス」(virus) という語を造った。狂犬病は流行を引き起こすことはないが、狂気、水への恐怖、そして死、というおぞましい症状のため、感染は大いに恐れられた。 ルイ・パスツール (1822–1895) の時代のフランスでは、狂犬病は毎年数百人の感染がある程度であったが、その治療は絶望視されていた。その危険性に気づいたパスツールは、狂犬病の犬に原因となる「微生物」を探し始めた。パスツールは狂犬病で死亡した犬の脊髄を乾燥させて砕き、それを健康な犬に注射しても感染は起こらないことを示した。彼は、間隔を短くしながら同じ犬への乾燥組織の注入実験を繰り返し、その結果、感染した脊髄の新鮮な組織を注入しても犬は生存するようになった。パスツールは犬を狂犬病に対して免疫化することに成功したが、彼は後に50回以上も実験を繰り返した。 パスツールは自分の方法がどのように機能しているのかほとんど見当もつかなかったが、1885年7月6日に母親によってパスツールのところへ連れられてきた少年ジョゼフ・マイスター(英語版)(1876–1940) にその方法を試した。彼は狂犬病の犬による咬傷だらけであり、母親はパスツールに息子を助けてくれるよう懇願した。パスツールは科学者であって医師ではなく、事態が悪化した際に彼の身に起こることをよく理解していた。それにもかかわらず彼は少年を助けることを決心し、狂犬病に感染したウサギの脊髄組織を、量を増やしながら10日間にわたって注入した。パスツールは後に「この子供の死は不可避なものに思われたので、私は深刻な不安を覚えることなく......犬で常に上手くいっていた方法をジョゼフ・マイスターに試すことを決心した」と記している。マイスターは回復し、7月27日には母親とともに帰宅した。パスツールは同じ年の10月にも2人目の少年の治療に成功した。その少年ジャン=バティスト・ジュピエ (Jean-Baptiste Jupille, 1869–1923) は15歳の羊飼いで、他の子供たちを狂犬病の犬から守ろうとして重度の咬傷を負ったのだった。パスツールの治療法は、その後50年以上も使われ続けた。 病気の原因については、1903年にアデルキ・ネグリ(英語版) (1876–1912) が狂犬病の動物の脳に、現在ではネグリ小体と呼ばれている顕微鏡的病変を発見するまでほとんど明らかにされていなかった。彼はそれらが原生動物の寄生体であると誤って考えていた。Paul Remlinger (1871–1964) は濾過実験によってそれらが原生動物よりもずっと小さく、さらに細菌よりも小さいことを示した。30年後、ネグリ小体は 100–150 nm の長さの粒子の凝集体であることが示された。現在ではそれはラブドウイルスの粒子の大きさであり、そのウイルスが狂犬病を引き起こすことが明らかにされている。
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