リーグ戦の誕生 〜対抗戦・リーグ戦の分裂以後〜
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1967年 関東ラグビー協会傘下の大学チームの中で総当たりの対戦方式を主張するチーム(法大、中大、日大、専大、防衛大、東洋大、国士大、大東大)により1回戦総当たりのリーグ戦を開始。大学選手権の関東代表は上位2校が出場。法大が2度目の大学日本一 1968年 (7月)関東大学ラグビーは、対抗戦とリーグ戦に完全分離し、関東大学ラグビーフットボール連盟を発足。対抗戦との間で12月に大学選手権関東代表決定戦(翌年から関東大学交流試合)を実施。両グループ上位4校同士が順位による襷がけで対戦し勝者が関東代表権を獲得。 1979年 対抗戦と合同による第1回関東大学ジュニア選手権大会が開催 1982年 1979年から始まった対抗戦グループの全早慶明戦に対抗して第1回全日中法専戦を開始(対戦は年2カードずつで組み合わせが毎年変る方法。日中法専のみなのは、リーグ戦グループ結成の中心チームが以上4チームであったため)。 1986年 大東大が大学選手権で初優勝 1988年 大東大が大学選手権で2度目の優勝(明大との同点両校優勝) 1992年 法大が3度目の大学日本一 1993年 全国大学ラグビー選手権大会の出場校拡大(16校化)に伴い、交流試合廃止。リーグ戦からは上位4校が無条件に出場。5位校は、北海道または東北の代表校と全国地区対抗の関東1区または関東2区と対戦した勝者と代表決定戦を行う方式に変更。 1994年 大東大が3度目の大学日本一。 1995年 5位校の代表決定戦の対戦相手は直接に北海道または東北代表との対戦に変更(地区対抗予選の関東からの参加が廃止)。 1997年 大学選手権出場の5位校の代表決定戦出場は隔年制となり、それ以外の年度は無条件に出場となる(対抗戦5位と隔年交代制。同年はリーグ戦5位が代表決定戦へ出場)。関東学院大が初の大学日本一。 1998年 関東学院大が2度目の大学日本一(関東リーグ戦所属校として初の2連覇) 1999年 関東協会傘下の大学による第1回東日本大学セブンズが開催 2000年 関東学院大が法大を破り、3度目の大学日本一(大学選手権で初の関東大学ラグビーリーグ戦に所属するチーム同士の決勝戦) 2001年 関東学院大が4度目の大学日本一(関東リーグ戦所属校として2度目の2連覇) 2003年 関東学院大が5度目の大学日本一 2006年 関東学院大が6度目の大学日本一(全国選手権決勝10年連続進出)。日大が部の不祥事によりリーグ戦残り試合および最下位に伴う入れ替え戦を辞退(不戦敗により次季の2部降格が決定)。 2007年 関東学院大が部員の不祥事により、リーグ戦途中で残り試合(1試合)の出場と、大学選手権への出場を辞退(順位成績や次年度扱いは既定どおり)。 2008年 2月~3月にかけて、関東ラグビー協会・大学部会の共通なテーマとして「リーグ戦・対抗戦の統一の模索」の話題が挙がったことが幾つかのスポーツ紙で報じられた。協会・部会内の有力校関係者にアンケートを採るなどの正式な動きがあった旨の報道も後日に行われた。その結果として「現状としては両グループでも関係者の多くは統合を望んでいない」という整理になり、今後も将来に向けての研究テーマの一つとして検討は継続するという曖昧な収束報道がなされ、将来への含みを持たせながらもとりあえずは現状を維持するといううやむやな結論に至った。 2012年 関東ラグビー協会主催による対抗戦グループと合同の第一回関東大学春季大会が開催される。 2016年 全国大学ラグビー選手権大会の出場校減少(14校化)に伴い、関東リーグ戦からは上位3校が無条件に出場。4~5位校は、前年度選手権に関東リーグ戦の大学の決勝進出校の数により出場権を得る。
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