リリー・エルベとは? わかりやすく解説

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リリー・エルベ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/14 13:03 UTC 版)

リリー・エルベ
: Lili Elbe
1926年撮影
生誕 アイナー・モーウンス・ヴィーグナー
: Einar Mogens Wegener

(1882-12-28) 1882年12月28日
 デンマークヴァイレ[1]
死没 1931年9月13日(1931-09-13)(48歳没)
ドイツ国ドレスデン[1]
職業 芸術家、イラストレーター、画家
配偶者 ゲルダ・ヴィーグナー(1904年 - 1930年、婚姻無効)
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アイナー・ヴィーグナー(1920年頃)

リリー・エルベ: Lili Elbe1882年12月28日 - 1931年9月13日)は、デンマーク画家イラストレーターであり、世界で初めて性別適合手術男性から女性)を受けた人物として知られる。出生名はアイナー・モーウンス・ヴィーグナー[注 1][注 2](丁: Einar Mogens Wegener)だったが、手術後、法的に「リリー・エルベ」と改名している[3]

リリーの生涯とゲルダ

ゲルダとの結婚

1882年に生まれ、1904年に当時学んでいたデンマーク王立美術院で出会ったゲルダ・ゴトリプ結婚した[3]。ゲルダも同じく画家であった。

ゲルダ・ヴィーグナー『リリー・エルベの肖像画』(水彩、1928年頃)[4]

エルベが女性の服装をするようになった[4]のは、ゲルダの絵のモデルが現れず、代わりにエルベにストッキングヒールを身につけさせ、脚のモデルになるよう頼んだことがきっかけであった[3]。2人は1912年以降パリに在住し、そのころからエルベは女性として生活するようになり、生来、女性的な顔つきと体をしていたため、男性として公に出ても、ズボンをはいて男装した女性のように見えたという。染色体異常SRY)やインターセックスの可能性も指摘されたが、真相は明らかではない。1920年代から1930年の時期には恒久的に女性の身なりで生活した。また、この頃より「リリー・エルベ」[注 3]と名乗るようにもなった[5]

女性としての人生を求めて

そして、ついに女性の身体を求めて「母となるため」、1930年から1931年にかけて5回にわたる手術を受けることになるが、施術の拒絶反応が重く、術後は長生きできなかった。

まず1930年にベルリンを訪れマグヌス・ヒルシュフェルトの観察の下に睾丸摘出手術を受けた。次いでドレスデン市立産婦人科診療所にてクルト・ヴァルネクロスドイツ語版により陰茎の除去と卵巣の移植手術が行われた。提供された卵巣は26歳の女性のものであった。この卵巣は拒絶反応により3回目と4回目の手術により再摘出されたが、1931年5回目の手術により子宮が移植され、50歳を前に念願の「母」の体となることができた。エルベは自伝をオランダ語で̺Fra Mand til Kvinde : Lili Elbes Bekendelser̺(デンマーク語)[6]として執筆する。出版は1931年に実現する[7]

法的に改名し性別を変更した証明

エルベの手術を知ったデンマーク国王クリスチャン10世は前年の1930年に、エルベ(アイナー)とゲルダの婚姻を無効としていた[注 4][3]。それでもゲルダはエルベの性別移行を支援し[3]、エルベは法的性別の変更と「リリー・エルベ」と記された新しいパスポートを手にすることができた[5]。しかしそのわずか3ヵ月後、拒絶反応のために、48歳で死去した。エルベの亡骸はドレスデンに埋葬された。その墓地は一度整理され平地となったが、2016年に映画『リリーのすべて』(#後述)の制作会社の資金で新しく墓碑が建立された[8]

リリーが危険な手術を繰り返したのは、フランス人の画商クロード・ルジュンと恋に落ち、完全な女性になりたいと望んだからだった。ゲルダはリリーを最期まで支援した。

エルベ死後のゲルダ

手術の拒絶作用によるリリーの死後、ゲルダはイタリア人外交官の男性フェルナンド・ポルタと再婚しモロッコへ航り、マラケシュカサブランカで数年過ごす。その間に描いた絵の署名は、「ゲルダ・ヴィーグナー・ポルタ」であり、リリー・エルベ(アイナー・ヴィーグナー)との婚姻関係の痕跡を残している。1936年、ゲルダは再び離婚し、1938年にデンマークに戻り、1940年に死亡した。

エルベを題材とした作品

エルベの没後まもなく、自伝はオランダ語[7]からドイツ語訳を経て1933年に英語版"Man into Woman"が上梓される[注 5]。映画化前にも改版し読み継がれてきた[注 6]

2001年、作家のデヴィッド・エバーショフが、エルベの生涯をモチーフにした "The Danish Girl" (en[注 7]という作品を書いている。この作品は2015年に『リリーのすべて』(原題: The Danish Girl)というタイトルで映画化された[12]

荒俣宏は自著『荒俣宏の世界ミステリー遺産』の中で、「リリ・エルベの肖像画」としてエルベのことを紹介している[13]。この本では出生名 (Einar Wegener) を「エイナ・ヴェーナ」と表記していた。しかしながら、妻ゲルダの作品コレクションを書籍化するにあたり、荒俣は大阪大学世界言語研究センターのデンマーク語・スウェーデン語研究室が編纂した辞典[14]を参考にする[15]と、その表記に則り(のっとり)、2016年に出版した本では、出生名は「アイナ・ヴィーイナ」、性別適合手術を受けてからの名前は「リリー・エルベ」と記している[15]

映像作品

参考文献

各分類内は主な著者、編者の順。

洋書 原書(デンマーク語)(ドイツ語)(英語)
  • Hern, Reiner Dr. Schnittmester des Geschlechts, Transvestitismus und Transsexualität in der fühen Sexalwissenshaft ISBN 3898064638, 2005. (ドイツ語). 電子書籍
  • Man into Woman, a book about the life of Lili Erbe ISBN 0954707206. (英語).
和書

脚注

注釈

  1. ^ 名字については言語によって様々な読み方が存在するが、元妻ゲルダの作品を集めた特別展を開いたデンマークのアーゲン現代美術館英語版の広報映像では、キュレーターが「ヴィーグナー」として紹介している[2]
  2. ^ デンマーク語の転記については以下参照:新谷俊裕, 大辺理恵 & 間瀬英夫(編) 2009
  3. ^ Lili Elbe あるいは Lily という記述の文献もある。
  4. ^ なお、当時のデンマークは刑法により同性愛を犯罪と規定していた。
  5. ^ 初版はロンドン:Jarrolds刊。インターネット公開版[9]がある。
  6. ^ 英語版は電子書籍も流通する。Lili Elbe 著. Man into Woman ː the first sex change, a portrait of Lili Elbe : the true and remarkable transformation of the painter Einar Wegener. Niels Hoyer 編、英語、ロンドン:Blue Boat Books、2004年。 OCLC 1150300828
  7. ^ 原題は「デンマーク人の女の子」の意味。原作は当初、邦題『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』[10]として出版後、映画化に合わせて『リリーのすべて』[11]に改題(2016年)、出版社を替えて改めて発刊した。

出典

  1. ^ a b Lili Elbe - Danish painter - ブリタニカ百科事典 - 2021年1月24日閲覧。
  2. ^ GERDA WEGENER på ARKEN - ARKEN Museum of Modern Art(20s〜) - YouTube
  3. ^ a b c d e Russell, Helen (2015年9月28日). “Gerda Wegener: 'The Lady Gaga of the 1920s'”. ガーディアン. 2016年12月29日閲覧。
  4. ^ a b ゲルダ・ヴィーグナーが描いたリリー・エルベの肖像。Gerda Wegener. Portrait of Lili Elbe. 水彩、1928年頃、画家のサイン入り。 OCLC 9084627532、イギリス。著作権:Wellcome Collection。
  5. ^ a b 教区教会の名簿(写し)。各欄は順に、職業:画家。氏名:Einar Mogens Andreas Wegener。教区名: Velje の聖ニコライ教区教会。改名後:Lili Ilse Elvene(別称:Lili Elbe)。Search (DFS), Danish Family. “Vejle Nørrevang Sankt Nicolai sogn, Nørvang, Vejle - Kirkebøger” (デンマーク語). https://www.danishfamilysearch.dk/sogn1904/churchbook/source27126/opslag5464498. 2023年1月11日閲覧。
  6. ^ Elbes, Lili. Fra Mand til Kvinde : Lili Elbes Bekendelser. Hage & Clausen, 1931. OCLC 1306188.
  7. ^ a b Rosenbeck, Bente; Mørck, Yvonne (2018-02-21). “Da Lili Elbe fik en ny identitet”. Kvinder, Køn & Forskning (4): 57–60. doi:10.7146/kkf.v26i4.110559. ISSN 2245-6937. https://tidsskrift.dk/KKF/article/view/110559. 
  8. ^ ̺Letzte Ehre fürs "Danish Girl" [「デンマークの少女」に最後の栄誉を(墓碑除幕式の報告)]” (ドイツ語) (2016年4月23日). 2023年1月11日閲覧。リリー・エルベの墓碑除幕式がドレスデンで開かれ、来賓の機会均等大臣ペトラ・ケッピング (SPD・ザクセン州)、故国デンマークのフリース・A・ピーターゼン大使ほか参列者が集った。映画会社に墓碑復元を依頼された彫刻家のエルマー・フォーゲルは、黒い花崗岩の一枚板で仕上げた。
  9. ^ Elbe, Lili (2004). Man into woman : the first sex change, a portrait of Lili Elbe : the true and remarkable transformation of the painter Einar Wegener. Internet Archive. London : Blue Boat Books. https://archive.org/details/manintowomanfirs0000elbe ISBN 978-0-9547072-0-0
  10. ^ デビッド・エバーショフ『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』斉藤博昭 訳、講談社(2003年)
  11. ^ デイヴィッド・エバーショフ『リリーのすべて』斉藤博昭 訳、早川書房〈ハヤカワ文庫 NV ; 1376〉、2016年。
  12. ^ エディ・レッドメインが女性になる新作公開日&邦題決定!『リリーのすべて』”. シネマトゥデイ (2015年11月19日). 2015年11月19日閲覧。
  13. ^ 祥伝社〈黄金文庫〉『荒俣宏の世界ミステリー遺産』 2011, p. 81
  14. ^ 新谷俊裕, 大辺理恵 & 間瀬英夫(編) 2009, p. [要ページ番号]
  15. ^ a b 荒俣宏 2016, pp. 248–249.

関連事項

50音順。

映画関係者(姓の順)

外部リンク


リリー・エルベ

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ゲルダ・ヴィーグナー」の記事における「リリー・エルベ」の解説

詳細は「リリー・エルベ」を参照 ウィキメディア・コモンズには、リリー・エルベに関連するカテゴリありますゲルダデンマーク王立美術院で、同じく生徒だったアイナー・ヴィーグナー(後のリリー・エルベ、1882年 - 1931年)と出会いゲルダ18歳アイナー22歳1904年結婚した。ふたりはイタリアフランス旅した後、1912年パリへ落ち着いた夫婦当時流行していたボヘミアニズム没頭し多く芸術家踊り子芸術界人物交流したほか、カーニバルなどの祭りによく参加した当時アイナーは、ゲルダよりも才能のある芸術家と見なされていたが、自分作品評価投げ打ってゲルダ追求する芸術助けようになったある日、絵のモデル現れなかったため、ゲルダアイナー女物の服を着てモデルになってほしいと頼んだ。彼女はストッキングヒールを履いて足の部分モデルしてほしいと頼んだが、アイナーはこの時女物の服が驚くほど自分に合うように感じて、「リリー・エルベ」(丁: "Lili Elbe")としての人格受け入れたという。 リリー・エルベはゲルダにとってお気に入りモデルとなり、ゲルダ自身も、粋な服装に身を包みアーモンド型の眼をした女性を描く人物として画壇有名になった。1913年に、ゲルダ絵画の源となっていたファム・ファタールが、実は夫アイナーだったと明かされ時には芸術界衝撃走った。この生活を続けるうち、アイナーはリリー・エルベとして過ごす時間長くなるようになったが、ゲルダ自身レズビアンであることを公にしており、あまり問題感じなかったとされている(ただし彼女が本当にレズビアンだったかどうに関して議論の余地がある)。 アイナー次第に、自分トランスジェンダー女性だと認識するようになり、男性との交際始めたアイナーは、リリー・エルベという新しい名前で数年独居した後、1930年記録初めとされる性別適合手術受けたゲルダ一般の場で、女性用の服を着たエルベを、夫アイナー姉妹だと紹介していた。ふたりには、性別適合手術前の1930年10月に、当時デンマーク国王クリスチャン10世によって婚姻無効言い渡されたが、ゲルダその後の手術を支え続けたエルベ1931年に、手術の合併症拒絶反応)により亡くなった1929年のアイナー・ヴィーグナー ゲルダ描いたリリー・エルベ 1930年のリリー・エルベ

※この「リリー・エルベ」の解説は、「ゲルダ・ヴィーグナー」の解説の一部です。
「リリー・エルベ」を含む「ゲルダ・ヴィーグナー」の記事については、「ゲルダ・ヴィーグナー」の概要を参照ください。

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