女性としての人生を求めて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 15:00 UTC 版)
「リリー・エルベ」の記事における「女性としての人生を求めて」の解説
そして、ついに女性の身体を求めて「母となるため」、1930年から1931年にかけて5回にわたる手術を受けることになるが、手術の拒絶反応が重く、術後は長生きできなかった。 まず1930年にベルリンを訪れマグヌス・ヒルシュフェルトの観察の下に睾丸摘出手術を受けた。次いでドレスデン市立産婦人科診療所にてクルト・ヴァルネクロス(ドイツ語版)により陰茎の除去と卵巣の移植手術が行われた。提供された卵巣は26歳の女性のものであった。この卵巣は拒絶反応により3回目と4回目の手術により再摘出されたが、1931年5回目の手術により子宮が移植され、50歳を前に念願の「母」の体となることができた。 エルベの手術を知ったデンマーク国王クリスチャン10世は、前年の1930年に、エルベ(アイナー)とゲルダの婚姻を無効としていた(なお、当時のデンマークは刑法により同性愛を犯罪と規定していた)。それでもゲルダはエルベの性別移行を支援し、エルベは法的性別の変更と「リリー・エルベ」と記された新しいパスポートを手にすることができた。しかしそのわずか3カ月後拒絶反応のために、48歳で死去した。エルベの亡骸はドレスデンに埋葬された。 リリーとゲルダの関係について述べるのは難しい。リリーが危険な手術を繰り返したのは、フランス人の画商クロード・ルジュンと恋に落ち、完全な女性になりたいと望んだからだった。ゲルダはそんなリリーを最期まで支援した。
※この「女性としての人生を求めて」の解説は、「リリー・エルベ」の解説の一部です。
「女性としての人生を求めて」を含む「リリー・エルベ」の記事については、「リリー・エルベ」の概要を参照ください。
- 女性としての人生を求めてのページへのリンク