リフレ派
リフレ派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 00:06 UTC 版)
リフレ派(reflationist)とは、日本が長らく陥っているデフレ不況を脱するために、量的緩和や日銀の国債引受、ゼロ金利政策の継続など、インフレ目標値を設定した上でのさまざまなマクロ経済政策を推奨する立場に立つことである。 経済学者の矢野浩一は「多くのリフレ派は『(非伝統的な)金融政策と財政政策を組み合わせたデフレ脱却政策』をリフレーション政策と呼んでいる」と指摘している。矢野浩一は「リフレ政策は『短期の経済動向は総需要によって決まってくる』という考え方に基づいている。『失われた20年』」の主因は金融・財政政策の失敗による需要不足であると考えている。ただし、リフレ派は、長期においては生産性が重要であることを認めている」と指摘している。 田中秀臣、安達誠司は「リフレ派は、日本経済の停滞は総需要が不足しているためという認識を有し、まずデフレと資産デフレの解消こそが問題解決の最優先課題であると考えた」と述べている。 野口旭は「リフレ派は総需要を増やすために、財政支出の拡大、金融緩和による投資の促進、円安による外需の増加が必要であるとしている。そしてその内どの手段を重視するのかによって、財政拡張派、金融緩和派・インフレ・ターゲット派、円安促進派という違いが出てくる」と指摘している。野口旭はリフレ派とは「日本経済の長期低迷からの脱出に関して、決定的に重要なのは金融政策であるとする立場」と定義している。浜田宏一は、大胆な金融緩和を主張するリフレ派は、家計などが将来について合理的期待形成学派に影響を受けていると指摘している。経済学者の野口旭は「リフレ派の背後にある考え方は『新古典派総合』である」と指摘している。野口旭は「リフレ派は、政府のマクロ政策によって安定的なマクロ環境を維持し、民間部門が自らの力で産業構造調整をスムーズに行っていけるようにする事こそが、中央銀行・政府の最も重要な機能だというのがリフレ派の考えである」と述べている。 高橋洋一は「リフレ派と言っても、インフレ目標による金融政策を主張するだけである。世界では標準的な経済政策であり、特別『○○派』と呼ばれることはない」と指摘している。 片岡剛士は「リフレ派というのは『派閥』ではなく、あくまで方法論、 政策手段のレベルでの緩やかな連帯である。デフレや経済停滞に陥るリスクをマクロ経済政策で回避することが必要で、その場合に中央銀行による金融政策が大きな役割を果たすというのは、マクロ経済学の共通認識で、それが突出した『派』に見えてしまう日本だけがおかしい」と述べている。 田中秀臣は「潜在成長率を高めようと主張するが構造改革派であり、潜在成長率自体は減っていないと主張するのがリフレ派である。構造改革派は不況の原因は日本経済の潜在的な能力の低下が原因と考えるが、リフレ派は日本経済の潜在的な能力は低下しておらず、需要を増やせば以前と同じ能力を発揮することができると考える」と指摘している。田中は「構造改革派はイノベーションは不況の中から生まれるとしているが、リフレ派は不況は淘汰が進みますます悪化させるだけであり、需要が生まれる中でイノベーションが生まれるとしている」と指摘している。 岩田規久男主催の「昭和恐慌研究会」は日本経済が再生するためには、リフレ政策と構造改革はともに不可欠な政策であると考えているが、リフレ政策を採用せずに、デフレ下で構造改革だけを進めれば、かえってデフレが深刻となり、失業率は上昇してしまうとしている。 田中は、自分自身および岩田規久男、浜田宏一、原田泰など以外に、若田部昌澄、野口旭、安達誠司、飯田泰之、片岡剛士、村上尚己、中原伸之、上念司、勝間和代、矢野浩一、山形浩生、松尾匡、中澤正彦、黒木玄、高橋洋一、山崎元、馬渕澄夫、金子洋一、宮崎哲弥、稲葉振一郎、中村宗悦、田村秀男、長谷川幸洋、森永卓郎、倉山満、浅田統一郎、栗原裕一郎を挙げている。田中は「リフレ10年選手は少なく、日本で名前を知られているのは20人位。10年前はもっと少数派だった」と述べている。 リフレ派の観点から経済学者を格付けした『エコノミスト・ミシュラン』という本も出ている。 2013年時点では、上記の論者はリフレーション政策で一致をしているように見えたが、日本銀行による量的・質的緩和以降、政治的・経済学的立場の相違から、これらの論者の議論は一致を見られなくなっている。
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