リトル ムーン【リトル ムーン】(草花類)
※登録写真はありません | 登録番号 | 第8997号 |
登録年月日 | 2001年 3月 28日 | |
農林水産植物の種類 | アルストロメリア | |
登録品種の名称及びその読み | リトル ムーン よみ:リトル ムーン |
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品種登録の有効期限 | 20 年 | |
育成者権の消滅日 | 2003年 3月 29日 | |
品種登録者の名称 | コーニンクルック ヴァン ザンテン社 | |
品種登録者の住所 | オランダ王国 2180 AA ヒルゴム 1e ルーステルウェッヒ 1a | |
登録品種の育成をした者の氏名 | フランシスカ ベルナルド プレヴィエ | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は、出願者所有の無名品種どうしを交配して育成されたものであり、花は側方外花被が鮮橙色、側方内花被は鮮橙色で基部が鮮橙黄色で下部に暗紅色の条線が入る切花向きの品種である。草丈は中、茎の太さは細、色は穏黄緑(JHS カラーチャート3513)である。葉の全形は長楕円状披針形、長さ及び幅は中、表面の色は穏緑(同3712)、光沢は中である。開花の方向は咲き上がる、散形花序の分枝数は中、花柄長は短、1分枝当たりの花数は中である。花の縦径及び横径は中、花被片の展開度は大、側方及び中央外花被の全形は倒卵形、内面の花色の模様はⅠ型、色は鮮橙(同1605)、条線は無である。側方内花被の全形は倒被針形、内面の花色の模様はⅢ型、Aゾーンの色は鮮橙(同1605)、Bゾーンの色は鮮橙黄(同2205)、条線は有、数は中、大きさは大、分布は下部、色は暗紅(同0110)である。中央内花被の全形は倒披針形、内面の花色の模様はⅠ型、色は鮮橙(同1605)、条線は有、数は少、大きさは中、分布は中央部、色は暗紅(同0110)である。花糸の主な色は明橙(同1604)、葯に対する柱頭の位置は葯より上位、花柱の主な色は明橙(同1604)である。開花習性は二季咲以上、開花の早晩は中である。「リトル エス」と比較して、外花被内面のAゾーンの色が鮮橙であること、側方内花被内面の花色の模様がⅢ型であること等で、「オレンジエース」と比較して、側方内花被内面の花色の模様がⅢ型であること、側方内花被内面の条線の分布が下部であること等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は、1993年に出願者の温室(オランダ王国)において、出願者所有の無名品種どうしを交配し、その実生の中から選抜、以後、増殖を行いながら特性の調査を継続し、1996年にその特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 |
「リトル ムーン」の例文・使い方・用例・文例
- ドリトル医師にはあまり患者がいませんでした。
- ドリトル医師は妹に言いました。
- 彼はリトル・ジョンと呼ばれる大男だった。
- ドリトルという名の医者.
- モンタナ州のリトルビッグホーン川近くの戦いで、カスター率いる米国騎兵隊とアメリカ先住民のいくつかのグループの間で行われた(1876)
- リトルリーグでプレーするチーム
- リトルリーグチームの一員で8歳から12歳までの選手
- スー族の酋長で、ブラック・ヒルズの侵入に抵抗して、リトル・ビッグホーンで一般カスターの敗北でシティング・ブルに加わった(1849年−1877年)
- 米国の将軍で、リトルビッグホーン川の闘争でスー族により彼の全指令と共に殺された(1839年−1876年)
- リトルトウキョウという区域
- リトルロックという都市
- リトルサイゴンという,外国へ移住したベトナム難民が集中して住んでいる地域
- リトルトウキョーという,アメリカの日系人が集中している地域
- リトルリーグという,少年野球の連盟
- 彼女の小説「リトル・バイ・リトル」は賞を受賞しなかったが,島本さんは,「ノミネートされただけでもうれしい。」と話した。
- リトルリーグで野球をする少年が,どうしたらヤンキースに入れるかと松井選手に質問したとき,松井選手は,自分がちょうどそうであったように,野球をずっと好きでいるよう彼にアドバイスした。
- 7月30日,松井選手は故郷の石川県から訪れた金沢リトルリーグのメンバーと面会した。
- リトルリーグの選手たちは,次の日の試合でホームランを打ってくださいと松井選手にお願いした。
- この祈念碑はポツダムの「リトル・ホワイトハウス」前にあるヒロシマ広場に設置される予定だ。
- 米国のハリー・トルーマン大統領は1945年夏のポツダム会談期間中,このリトル・ホワイトハウスに滞在した。
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