ラドガ湖まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 08:40 UTC 版)
「フィンランドのカレリア地峡再占領」の記事における「ラドガ湖まで」の解説
ソ連軍の防衛施設はヴオクシ川近郊と、道路の沿線に集中していた。このためフィンランド軍は道のない地形に兵力を集中させ狭く深く戦線を破った。この攻撃は森や沼地に一時的に構築した補給路で援護された。 フィンランド第18師団(Col. Pajari)は最北部に位置していたソビエト第115師団に森を越えて攻撃を行った。フィンランド第18師団は道を進む代わりに森を通って安全に道路を通過し、森を越えて道路を回り込んで攻撃を行った。しかし道路に陣取っていたソビエト軍は戦車等に支援されたや強い軍であったために防御に回ってしまった。この攻撃のあいだフィンランド兵ヴィルホ・ラットー(Vilho Rättö)はソ連の対戦車砲を鹵獲し、この対戦車砲でソ連軍の戦車を4台破壊した。この功績によって彼は兵卒として初めてのマンネルハイム十字章を受けることになった。フィンランドの攻撃によって最終的に8月4日にイルメー(Ilmee)道を包囲し、獲得した。この結果、ソ連軍は保持していた位置を放棄し、イルメーから国境の中間地点まで後退した。 フィンランド第15師団 (Col. Hersalo)による突撃はソ連第142師団の第588歩兵連隊に反抗された。再度の突撃は2kmの範囲に限って行われ、この範囲に多くの砲が集められた。国境の要塞を突破した後は、道路に集まっているソ連軍を森の側路を通って迂回し、先頭部分から一部隊ずつ包囲し捕獲して、5kmほど前進した。6日後、第15師団はヴィープリ-ソルタヴェラ間鉄道から3km、ラドガ湖西岸から15kmの位置まで進攻し、ソ連軍を左方から包囲した。 フィンランド第2師団はソビエト第461歩兵連隊の2大隊の包囲を決定した。この大隊はティリヤ(Tyrjä)村近郊を防衛していた。第2師団第7歩兵連隊はこの村を東から包囲し、防御を行っていたソ連軍をティリヤ湖畔まで押し込んだ。同時期、第28歩兵連隊は村を越えて南部に進軍した。砲によって支援されている四日間、ソ連軍は防御地を保持し続けたが、最終的に包囲された。一部の兵士は森を通って逃げ出した。しかしながら彼らの多くとソ連軍の装備品は村でわなに掛かった。フィンランド人は戦闘での犠牲者に苦しんだ。第7歩兵連隊はTyrjän rykmentti(ティリヤ師団)と呼ばれるようになった。ティリヤの開放により、エリセンヴァーラ鉄道への道が開かれ、8月の5日にはフィンランド軍はヴィープリ-ソルタヴェラ間の鉄道にたどり着いた。 ソ連第23軍の司令官は8月4日に第198狙撃兵師団のソルタヴェラへの反撃を停止するように命令し、この師団を南部に下げた。これによってフィンランド第2師団はソ連第142師団と共に南下した。同時にソビエト第115師団とソビエト第43師団は協力してフィンランド軍の予備軍の活動の停止を試みた。しかし、この攻撃は不十分であったため、ソビエト第115師団はヘリセヴァン川(Helisevänjoki)まで再度後退した。この位置が丘と川が良い防御地を形成したため、ソ連軍はフィンランド第18師団に反撃することができた。フィンランド第18師団はヘリセヴァン川まで進攻し、インキラ(Inkilä)でヴィープリ-ソルタヴェラ鉄道にまでたどり着き、8月8日には鉄道を越えた。 フィンランド第10師団は命令を受けてフィンランド第15師団とフィンランド第18師団のあいだを進攻した。8月6日にはヴィープリ-ソルタヴェラ間の鉄道に到達した。第10師団はカキサルミ-ハイトラ方面へ攻撃を続けた。しかしながらソ連軍はこの鉄道線への道をふさいでおり、道を開けることができたのは8月8日になってからであった。8月8日、第10師団はハイトラの町を攻略している。この第10師団がラドガ湖畔へたどり着いたのは次の日のことであった。これによって北西ラドガ湖畔の陸のつながりを護っていたソ連軍は切断された。8月10日から11日にかけて、ソ連軍はこの接続を取り戻そうと強い反撃を行ったが、失敗に終わった。 フィンランド第2師団の第28連隊はエルセンヴァーラ鉄道の分岐点を8月9日に占領、これによって鉄道を使ったフィンランドの補給が始まった。第2師団第7歩兵連隊によるティリヤの戦いの後、第7歩兵連隊は師団の予備兵として二日間の休養を行い、これに先立ってその他の第2歩兵師団は鉄道線に沿ってラーデンポフヤ(Lahdenpohja)方面への攻撃は続けた。 フィンランド第2師団は8月8日にはラーデンポフヤを占領し、これによってラドガ湖畔のソ連軍の橋頭堡とソ連軍を分断した。同日、第2師団は第I軍に移動され、北部ラドガ湖畔のソビエトの橋頭堡を一掃するように命令された。また、フィンランド第15師団とフィンランド第10師団には南部のソ連軍の橋頭堡を一掃するように命令した。一方ソ連軍もソビエト第142師団と第198師団を海軍での撤退の輸送のために橋頭堡であるキルポランサーリ(Kilpolansaari)島に引き下がるように命令した。この撤兵は秩序だって実行され、ソ連軍のほうが規模が大きかったために、フィンランド側は包囲をすることができなかった。8月11日には第15師団がハイトラ鉄道の分岐点を占領した。 8月13日には全てのソ連軍がフイスコンニエミ(Huiskonniemi)半島とキルポランサーリ島に撤退を始めた。航空優勢を保っていたソ連軍は8月23日には多くの兵力と物資を失うことなくこれらの橋頭堡から部隊を撤退させた。フィンランド第15師団はソ連軍を迫撃し、橋頭堡に残っていた後衛部隊を一掃した。
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