ラドクリフ・ライン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 04:19 UTC 版)
「インド・パキスタン分離独立」の記事における「ラドクリフ・ライン」の解説
マウントバッテンが分離独立を示してから実施に移すまででも2か月強、インド独立法の施行からならばわずか1か月弱しかなかったことも問題だったが、それ以上に大問題となったのは、イスラム教徒が多数を占める地域がイギリス領インド帝国の東西に分かれて位置していることであった。 このため、西のパンジャーブ地方と東のベンガル地方はそれぞれインド・パキスタン両国に分割され、パンジャーブ地方はパンジャーブ州 (パキスタン)とパンジャーブ州 (インド)(後にそこからさらにハリヤーナー州やヒマーチャル・プラデーシュ州、チャンディーガルが分割される)に、ベンガル地方は東パキスタンと西ベンガル州に分割されることとなった。この地理的分割の作業は、それまでインドに縁がなかったロンドンの法廷弁護士(バリスター)シリル・ラドクリフ(Cyril Radcliffe)にゆだねられ、このため分割線(分離独立後はそのまま国境となる)はラドクリフ・ライン(Radcliffe Line)と呼ばれるようになった。なお、この分割線は独立当日まで公表されなかった。 ベンガルでは1905年のベンガル分割令に近い形での分離がなされた(en)が、パンジャーブでは分割の経験がなかったため、混乱はより大きくなった。
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