ユスティニアヌス1世による帝国再建とヴァンダル王国・東ゴート王国の滅亡
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「古代末期のキリスト教」の記事における「ユスティニアヌス1世による帝国再建とヴァンダル王国・東ゴート王国の滅亡」の解説
「東ローマ帝国」および「ビザンティン」を参照 西ローマ帝国が滅亡してから、ローマ帝国は東ローマ帝国において継承され、東ローマ帝国は自らを「ローマ人」「ローマ帝国」と称した。しかし、この東ローマ帝国は、キリスト教を国教とし、さらにギリシャ人を主要な構成民族とし、ギリシャ語を日常語・公用語とした点で、古代ローマ帝国とは異なる国家であり、「ビザンツ帝国」と呼ばれる。「ビザンツ」はコンスタンティノポリスの旧称ビュザンティオンによる。 東ローマ帝国はアナスタシウス1世皇帝(在位:491年 - 518年)が財政改革に成功し、国庫が豊かになった。ローマ教皇ジェラシウスはアナスタシウス1世への手紙で、司教の権能と皇帝の権能とでは、司教の権能が神の審判において責任が重く、また国家の権能と教会の権能は互いに混同してもならないし、分離してもならないという後世両剣論とよばれる二重権能論を展開した。 ユスティニアヌス1世皇帝(在位:527年 - 565年)は旧帝国領のイタリアと北アフリカを奪回をはかった。ユスティニアヌス1世の時代には、皇帝権力の独裁化がすすみ、ニカの乱で破壊された東方教会の総本山アヤソフィア(聖ソフィア教会)が再建され、また『ローマ法大全』を編纂した。ユスティニアヌスは新しい法をギリシャ語で発布するなど、ビザンツ化がすすんで、帝国のビザンツ化がほぼ完成した。 533年、北アフリカのヴァンダル王国に政変が発生して東ローマに反抗的なゲリメルが即位すると、ユスティニアヌス1世はベリサリウス将軍を送り出した。このヴァンダル戦争で東ローマは勝利し、ヴァンダル王国は滅亡して、北アフリカにおけるローマ帝国の支配が再建された。 東ゴート王国に対しては、518年頃よりユスティニアヌス1世の前帝ユスティヌス1世(在位:518年 - 527年)がローマ教皇との関係を調整するとアリウス派弾圧をはじめ、さらにフランク王国と同盟して東ゴート王国を包囲するようになった。テオドリックは貴族アルビヌス、ボエティウス、シンマックスも反逆の罪で処刑し、さらに教皇ヨハネス1世を獄死させた。東ゴート王国がテオドリック死後の内紛で混乱すると、ユスティニアヌス1世は遠征を開始して535年のゴート戦争で勝利し、首都ラベンナは陥落してベリサリウス将軍によって東ゴート王国の消滅が宣言された。その後、再起した東ゴートのトーティラ王がローマを占領略奪するなど戦争が継続したが、552年、東ローマ軍に惨敗した東ゴート残軍はイタリアの外へ去っていった。さらにユスティニアヌス1世は西ゴート王国の内紛に乗じてイベリア半島東南部の征服にも成功した。 ユスティニアヌスはキリスト教を唯一の宗教とし、ペイガニズムを禁止した。小アジア、ドン川流域のヘルリ族、フン族、カフカスアブハジア族、タザニ族はキリスト教に改宗させられた。550年、エジプト南部のイシス女神を祀るフィラエ神殿は閉鎖された。
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