ユスティニアヌス1世と東ローマ帝国の古代末期の支配力
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キリスト教において性的な意味を主として持つ言葉 "sodomia" は紀元6世紀までほとんどみられなかった。東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世がローマ法大全で修正した Novellae Constitutionesのno. 77 (538年)およびno. 141 (559年) にソドムの罪が明確には同性間の性交渉と彼らの欲求であったと記述している。また彼は当時発生していた飢餓、地震、伝染病(535年から536年の異常気象現象(英語版)参照)もソドムの罪に関連づけている。相手は誰か[誰?]不明だが、彼は反同性愛法を制定した理由は個人的に有罪にしたかった相手を立証できなかった時のためだと言われている[要出典]。 ユスティニアヌス1世の法令は同性愛を禁止した最初のローマ法ではなかった。先の例で有名なものは紀元前149年に制定された "Lex Scantinia" で、紀元前17年に制定された "Lex Julia" では同性愛に死刑も科していた。Lex Scantinia以前にも同様の法律が存在したという説もあるが、これらの主張を裏付ける証拠は失われてしまった。同性愛行動や姦通の罰には斬首による死刑を科していて、ユスティニアヌス1世の法令は、同性愛行動に対する俗世的な罰だけでなく天罰でもあり、ローマ法の模範として変更が歓迎された。というのも、権力のある特定の人々は俗世の法を無視したり逃れていたが、天罰には何も抵抗ができなかったので、ユスティニアヌス1世が彼らにも適用すると期待されたからである。 ユスティニアヌス1世より前の時代でも、同性間の性的行為は批判されたことがある。4世紀の金口イオアンは、Romans 1:26-27の説教4でローマの信徒への手紙を引用し、「身体に宿したまま魂を損なう同性愛と、身体から魂を奪う殺人では、同性愛は殺人のより罪が重い」としている。ローマの信徒への手紙のパウロは、同性間の性的行為を「恥ずべき欲望」と言及し、この行動は自然の姿と逆で、身体に罪を与えて苦しませていると述べている。ユダヤ人と同様にユスティニアヌス1世以前のキリスト教徒は肉欲の罪に "sodomia" の用語を使ったとされる記録は今のところないが、アレクサンドリアのフィロンやパタラのメトディオス(紀元260年-312年)は同性間の性的行為をソドムに原因があると考え、フラウィウス・ヨセフス、 ヒッポのアウグスティヌス(紀元354年-430年)と若干の偽典の記述にみられる。
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