メリーランドへの侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:27 UTC 版)
「東部戦線 (南北戦争)」の記事における「メリーランドへの侵攻」の解説
リーは、この春から夏にかけて自軍の損失は大きかったものの、次の大きな挑戦である北部への侵略の準備が出来ていると判断した。その目標は北部の主要州であるメリーランド州とペンシルベニア州に侵攻し、ワシントンの補給線であるボルチモア・アンド・オハイオ鉄道を遮断することであった。リーは自軍への補給が必要であり、バージニアとは異なり北部の農場は戦争の影響を受けていないことを知っていた。また北部の士気を衰えさせることを望み、侵略軍が北部の中で大混乱を起こせば、特に奴隷を保持する州であるメリーランド州での内乱を招く可能性があるので、リンカーンは停戦の交渉に出てくると考えていた。 北バージニア軍はポトマック川を越えて、9月7日にメリーランド州のフレデリックに到着した。リーの具体的な目標はハリスバーグに向けて進軍し、北東部の東西を結ぶ鉄道を遮断して、続いてフィラデルフィアのような東部の主要都市に対する作戦行動を行うと考えられた。侵略の報せは北部でパニックを引き起こし、リンカーンは迅速な対応を取る必要性に迫られた。マクレランは半島から帰還して以来軍事拘留所に入っていたが、ワシントン周辺の全軍の指揮に復帰させリー軍への対処を命じた。 リーは自軍を2つに分けた。ロングストリートをヘイガーズタウンに派遣し、一方、ジャクソンにはハーパーズ・フェリーにある北軍の武器庫の奪取を命じた。それはシェナンドー渓谷を通じてのリーの補給戦を確保する意味もあった。ハーパーズ・フェリーは実質的に防御のしにくい魅力のある標的だった。マクレランはワシントンに対し、ハーパーズ・フェリーを明け渡してその守備兵を自軍に吸収する要請をおこなったが、それは拒絶された。ハーパーズ・フェリーの戦いでジャクソンは町を見下ろす高台に大砲を据え付け、9月15日に12,000名以上の守備隊を降伏させた。ジャクソンは町の占領にはヒルの師団を残し、自軍の大半を引き連れてリーの本体に合流した。 マクレランはその87,000名の軍隊を連れてワシントンを出たが、進軍は鈍く、9月13日にフレデリックに到着した。そこで2人の兵士がリー軍の詳細な作戦計画の写し、将軍命令書第191号が3本の葉巻を包んでおき忘れられているのを発見した。その命令書はリーが軍を分けて地理的に分散した位置に置くことや、それぞれの攻撃目標を孤立させて打ち破ることを詳細に示していた。マクレランは18時間待ってこの情報を利用することに決めたが、その遅れがチャンスを失わせることになった。その夜、ポトマック軍はサウス山に向けて移動した。そこには北部バージニア軍の一部が山を抜ける道を守って待ち構えていた。9月14日のサウス山の戦いで、南軍の防衛隊は数に勝る北軍に蹴散らされ、マクレランはリー軍が集結する前に撃破できる位置に達した。 リーはマクレランの性格とは思えない攻勢を見て、さらに南軍の同調者から彼の作戦計画が漏れたことを知り、夢中になって軍隊の集結のために動いた。リーは侵略を諦めてバージニアに戻ることを選ばなかった。これはジャクソンによるハーパーズ・フェリーの奪取が終わっていなかったからである。その替わりにシャープスバーグで敵と対峙することを決めた。
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