メランコリアに対する考え方と崇拝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 14:28 UTC 版)
「メランコリー」の記事における「メランコリアに対する考え方と崇拝」の解説
古代ギリシア・古代ローマの文献では、憂鬱質については一貫して否定的な見方がなされている。ただひとつ、『XXX, 1』と題された文章の断片(アリストテレスに帰されているが、おそらくテオフラストゥスにより基となる文章が書かれたもの)は憂鬱質に対して肯定的な見方を示した唯一の文書で、「聖なる狂気」(マニア)の出現の必須条件であるとし、哲学者・政治家・詩人・芸術家など偉大な人物の多くがなぜ憂鬱質であったかを説明している。これは後の18世紀や19世紀の天才に対する観念に影響している。 ルネサンス期にはマルシリオ・フィチーノやハインリヒ・コルネリウス・アグリッパといった神秘思想家の著書を通じ、メランコリアは土星の影響下にあるという説が広く受け入れられた。 アルブレヒト・デューラーによる寓意画に『メランコリアI』と題されたものがある。1514年に制作されたこの版画で、メランコリアは霊感の訪れを待つ状態として描かれ、鬱の苦悩の状態としては必ずしも描かれていない。この寓意画にはユピテル魔方陣、角を切り落とした菱面体(英語版)などとともに描かれている。ルネサンス以後の中世ヨーロッパにおいては、憂鬱質(メランコリア)は芸術・創造の能力の根源をなす気質と位置づけし直され、芸術家や学者の肖像画や寓意画において盛んに描かれた。 17世紀初頭、イングランドでメランコリアを崇拝する興味深い文化的・文学的現象が起きている。これは、ヘンリー8世時代に始まった イングランド宗教改革(英語版) によって引き起こされた宗教的な不確定性と、罪・破滅・救済といった問題への関心の高まりが招いた結果であると信じられている。 音楽の分野においては、エリザベス朝以後の「メランコリアの時代」は作曲家ジョン・ダウランドと結びついている。その名をもじって「Semper Dowland, semper dolens」(いつでもダウランド、いつでも嘆いている)を自らのモットーとしていたダウランドは同時代の人々からは「不平分子」と呼ばれており、ウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』の登場人物である憂鬱なデンマーク王子ハムレットのような憂鬱な人物であった。この時代の文化的なムードを示す文学的な成果には、ジョン・ダンの後半生の死に取りつかれたような作品群がある。その他、作家トーマス・ブラウン卿の作品や、神学者ジェレミー・タイラー(英語版) の死生観やメメント・モリを追う著作群もこの時代のメランコリアへの傾倒を象徴するものである。 同様の文化現象は、ロマン主義の時代、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『若きウェルテルの悩み』やジョン・キーツの『憂愁のオード(英語版)』が書かれた時期にも起こっている。 20世紀においても、社会的疎外感やアノミーをもとに芸術や思想やカウンターカルチャーが数多く生まれている。
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