メディアの反応、捜査の停滞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 06:54 UTC 版)
「ブラック・ダリア事件」の記事における「メディアの反応、捜査の停滞」の解説
1月26日、ロサンゼルス・イグザミナーは別の手紙を受け取った。今回の手紙は手書きであり、"Here it is. Turning in Wed., Jan. 29, 10 am. Had my fun at police. Black Dahlia Avenger" (この場所だ。1月29日水曜日午前10時に自首する。警察は楽しかった。ブラック・ダリアの復讐者) という内容だった。手紙は自首する予定の場所も指定されていた。1月29日の朝、警察は手紙に指定されていた場所で犯人が来るのを待ったが、犯人を称する人物は現れなかった。その代わりに、午後1時になるとロサンゼルス・イグザミナーの事務所に別の手紙が送られてきた。そちらは新聞の切り抜きで書かれており、"Have changed my mind. You would not give me a square deal. Dahlia killing was justified." (考えを変えた。俺に公平な処遇をしないつもりだっただろう。ダリア殺しは正当と認められた) という内容だった。 凄惨な犯行とその後にロサンゼルス・イグザミナーに送られた手紙から、ショート殺害事件を取り巻いてメディアは熱狂した。地元やアメリカ中の新聞がこの事件を大きく取り上げた。増刷されたセンセーショナルな報道の多くが、ショートは死ぬ前に4時間もの間拷問を受けていたと報じた。その情報は誤りだったが、警察はショートの真の死因が脳内出血であることを人々に隠すため、そのような報道が横行するのを放置していた。また、ショートの生涯についても報道され、その中にはハンセンが関係を迫ったが断ったとされる話の詳細も報じされていた。また、ショートと知り合いだったストリッパーが、ショートは男たちと付き合っても最後まで相手をしないのが常だったと警察に話した。これにより、一部の記者 (特にロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスのベボ・ミーンズ、英: Bevo Means) や刑事たちはショートが同性愛者である可能性を探るようになり、ロサンゼルスのゲイバーの従業員や常連客に尋問を始めた。しかし、同性愛者という説は立証されずに終わっている。ヘラルド・エクスプレスもまた、殺人者を称する人物からいくつかの手紙を受け取っていた。それもまた新聞の切り抜きで作られており、その中の1つは"I will give up on Dahlia killing if I get 10 years. Don't try to find me." (10年たったらダリア殺しに見切りをつけるつもりだ。探そうとするな) と書かれていた。 2月1日、ロサンゼルス・デイリーニューズは、捜査官に追及すべき新しい手掛かりがなく、事件の捜査は越えられない壁に突き当たったと報じた。ロサンゼルス・イグザミナーは殺害事件と捜査の報道を続け、遺体の発見から35日間1面で報道し続けた。ロサンゼルス・イグザミナーのインタビューで主任捜査官のジャック・ドナヒュー (英: Jack Donahue) 警部は、ショートの殺害はロサンゼルスの外れの人里離れた建物で行われ、それから遺体が遺棄された場所に運ばれたと考えていると述べた。遺体が精密に切開されていたことから、ロサンゼルス市警察は殺人者が外科医などの医療の知識のある人物である可能性を調査した。1947年2月中旬、ロサンゼルス市警察は、ショートの遺体発見現場の近くにある南カリフォルニア大学医学部に対して令状を執行して捜査を実施し、受講している学生の完全な一覧を要求した。大学は学生の身元を秘匿するという条件で受け入れた。経歴の調査が行われたが、成果は無かった。
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