メディアの内容統制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 20:19 UTC 版)
「ドイツ民主共和国における検閲」の記事における「メディアの内容統制」の解説
東ドイツの最高指導者だったエーリッヒ・ホーネッカーは失脚後のインタビューで「報道機関には検閲は行われていませんでした。ラジオ・テレビも検閲を受けることなく放送を続けていました」と述べているが、それは実態を現したものではない。実際にはメディアが何を報道してよいのか、どんなことに関心を持ってよいのか、という基準は、ドイツ社会主義統一党中央委員会(ドイツ語版)(独: Zentralkomitee; ZK)の政治局によって定められた。1971年以降、その政治局を率いていたのは他でもない党書記長のホーネッカーである。この部門はホーネッカー時代には宣伝担当の書記・政治局員であったヨアヒム・ヘルマン(ドイツ語版)の下で、マスメディアを組織化・統制するための宣伝活動を管轄していた。統制は、毎日行われるベルリンでの会議の内容、定期的なSED新聞、声明発表などの放送を手段として行われ、さらには、東ドイツ政府の新聞担当局からの「指導」もあった。 国家「情報部」が東ベルリン市民の基準に適するかたちで「指導」を公布したように、検閲のプロセスは、ローカルな水準でも生じた。党中央部も、テレタイプを使って、話すべきテーマ、ニュース解説の論拠、見出しの作り方、ノルマ(Sollpläne)などを毎日地方メディアの編集部に送り届けて、非直接的な検閲を行った。それゆえ地方新聞の編集部では、「私の意見は、2時にベルリンから来る」という状況が普通であった。
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