ミサイル艇の登場と限界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 03:25 UTC 版)
「高速戦闘艇」の記事における「ミサイル艇の登場と限界」の解説
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} ソ連海軍の183R型ミサイル艇 イスラエル海軍のサールII型ミサイル艇 詳細は「ミサイル艇」を参照 大戦後も、各国で魚雷艇様式の高速艇の研究・開発が進められており、イギリスでは主機としてガスタービンエンジンの導入を試みた。またソビエト連邦では、主兵装として艦対艦ミサイル(SSM)の導入を志向しており、1950年代末にP-15「テルミート」(SS-N-2「スティクス」)の開発に成功すると、ただちに183型(P-6級)魚雷艇(ロシア語版、ドイツ語版)の雷装をSSM装備に換装した183R型ミサイル艇(コマール型)の配備を開始、続いてより本格的なミサイル艇として205型大型ミサイル艇(オーサ型)も開発した。これらのミサイル艇は、東側諸国やその同盟国に広く供与・輸出された。 西側諸国でのミサイル艇の配備に先鞭をつけたのがイスラエル海軍で、1960年代初頭より、西ドイツ海軍のヤグアル級魚雷艇を元に、国産のガブリエルSSMを搭載したサール級ミサイル艇(サールI~III型)の開発・配備に着手した。この開発中の1967年には、虎の子の駆逐艦の1隻をエジプト海軍のコマール型ミサイル艇に撃沈されるというエイラート事件が発生し、西側諸国にSSMの脅威を強く印象づけたが、イスラエル海軍は自身のミサイル艇の開発・配備を推進し、1973年の第四次中東戦争におけるラタキア沖海戦では、国産ミサイル艇5隻によってミサイル艇3隻を含むシリア海軍艦艇5隻を一掃し、しかも人員・器材とも損害を受けないという完勝を収めた。このような中東地域でのミサイル艇の活躍とともに、西側諸国でもミサイル艇が広く配備されるようになっていった。 しかしオーサ型やサール級のような200トン級の艇では耐航性や基地依存性の面から活動海面が限られるという問題があり、ソ連・イスラエルともに、続いて建造した1241型大型ミサイル艇(タランタル型)やレシェフ級ミサイル艇(サールIV型)では400~500トン級と大型化した。またこのような大型ミサイル艇であっても、搭載できる対空兵器には限度があることから航空優勢を喪失した状態での生存は望み難く、また測的能力の限界から単独ではSSMの射程を活用できず、他の艦艇や航空機との連携が必須であるという制約があった。 このような制約が認識されたこともあって、高速戦闘艇の建造は1970年代から1980年代初めにかけてがピークとなり、80年代末以降の建造数は減少している。例えばイスラエル海軍では、一度は駆逐艦・護衛駆逐艦を全廃して水上戦闘艦艇をミサイル艇に統一したものの、レシェフ級(サールIV型)を更に大型化したサール4.5型ミサイル艇では測的用の艦載ヘリコプターや自衛用の艦対空ミサイルの搭載を試みたのち、艦型を大幅に拡大してこれらを兼備したサール5型コルベットへと移行している。
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