マーティン D-28
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 02:01 UTC 版)
マーティン D-28 | |
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Martin D-28
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メーカー/ブランド | マーティン |
製造時期 | 1931年- |
構造 | |
ボディタイプ | スクエア・ショルダー ドレッドノート |
スケール長 | 25.4インチ |
フレット数 | 20 |
ネックジョイント | 14 |
材質 | |
ボディ | トップ: シトカ・スプルース/ バック&サイド:インディアン・ローズウッド |
ネック | マホガニー |
フィンガーボード | エボニー |
ナット | アイボリー |
ハードウェア | |
ペグ | ニッケル・オープン・ギア |
ブリッジ | エボニー |
カラーバリエーション | |
ナチュラル | |
テンプレート | カテゴリ |
マーティンD-28は、マーティン (C.F.Martin & Co., Inc.) 社によって1931年から製造されたアコースティックギター。繊細な高音から低音までバランスに優れ、豊かな音量が得られるため、カントリー・フォーク・ロックなど多様なジャンルで使用される。
歴史
1916年 マーティン社は注文を受け大きいサイズのギターを製作。当時としては異様にも思えるサイズは、世界最大の戦艦にちなみ"ドレッドノート"と呼ばれるようになった。
1931年 ドレッドノートの"D"を冠し、ボディ材の異なるD-1・D-2の製作を開始。まもなく、マホガニーを使ったD-1はD-18に、ローズウッドを使ったD-2はD-28にモデル名を変更。
1934年 14フレット・ジョイント(ネックとボディの接合位置:以前は12フレット)を採用し、ほぼ現在に残るフォルムに。
その後、カントリーミュージックの流行と共にマーティン社の主力モデルになり、細部の仕様変更をしつつも基本設計を変えず、発売開始以来90年近く生産され現在に至っている。同様の歴史を持つD-18のほか、D-45、D-35、D-21など多くの派生したドレッドノート・モデルを製作している。
その他の主な仕様変更
- 1969年 ブラジリアン・ローズウッドの希少性が高まりブラジル政府が輸出規制したことにより、ボディ材がインディアン・ローズウッドに変更。
現在のモデル
2017年モデルチェンジを行い、フォワードシフト・ノンスキャロップド・ブレースを採用。新しいネックプロファイル、べっ甲柄ピックガード、ペグはオープンタイプになり、トップ板はラッカー仕上げの前に、エイジングトナーを塗布している。
近年のD-28スタンダードシリーズは、シトカ・スプルースのソリッドトップ、インディアン・ローズウッドのバックとサイド、マホガニーネック、エボニー指板、エボニーブリッジ、メープルブリッジプレートなどの高品質木材で作られていて、ノンスキャロップド・ブレースを採用している。ネック製造のコンピューター制御[1]、バフ研磨機を導入しているが、製造過程の多くはまだ手作業で行われる。2022年現在、基本モデルの定価は2,990ドル[2]だが、1969年以前の古いモデルは高価になる場合がある [3]。
バリエーション
D-28は、次のようないくつかのバリエーションがある。
- HD-28:スキャロップド・ブレースを採用し[4]、D-28よりも"オープン"なサウンドと言われる。ヘリンボーン・バインディング、ジグザグまたは"ジッパー"バックストリップを採用[5]。
- HD-28V:オリジナル戦前モデルのクローム・バタービーン・チューナー、エイジング・トーン・トップ、ヘリンボーン・バインディングを採用。スキャロップド・ブレースは約1インチ前方に移動、トップ板下部がより自由に反応し、効果的で豊かな低音を奏でます。
- D28E:フレットボード端とブリッジ近くにピックアップが装備された限定バージョン[6]。
- D12-28:12弦バージョン。
使用したアーティスト例
- ハンク・ウィリアムス '41年製・'44年製所有
- クラレンス・ホワイト '35年製所有
- レスター・フラット '50年製所有
- エルヴィス・プレスリー デビュー・アルバム(1956年)のジャケット写真で特徴的なレザー・カバーのD-28を抱えて歌う姿が捉えられている[7][8]。
- ジョニー・キャッシュ '61年製所有
- ボブ・ディラン バングラデシュ・コンサート(1971年)、ローリング・サンダー・レヴュー(1975-76年)でD-28、デビュー30周年記念コンサート(1992年)、MTVアンプラグド(1995年)でHD-28を使用している[9]。
- ポール・マッカートニー 1967年にジョン・レノンと同時購入。ホワイト・アルバム以降のアコースティックな楽曲で数多く使用されている。
- ニール・ヤング 1977年アルバム『カムズ・ア・タイム』のレコーディング中にハンク・ウィリアムスの所有していた'41年製D-28を購入してステージその他で使用している。
- スティーヴン・スティルス '36年製・'38年製所有
- ヴァン・モリソン 6作目のアルバム『セント・ドミニクの予言』(1972年)のジャケット写真でD-28を抱えた姿が映されている[10]。
- ロビー・ロバートソン 「ザ・ウェイト」ザ・バンド(1968年)の作曲時に'51年製D-28を使用し、サウンドホール内の「ナザレス」(※歌詞の最初に唄われる[13])の刻印にインスパイアされたことを言及している[14]。
参考文献
- ヴィンテージ・ギター編集部『マーティンD-28という伝説』〈枻文庫025〉枻出版社、2003年。
- 『ザ・マーティン・サウンド』〈Vintage Guitar Special Issue〉枻出版社、2005年。
脚注
- ^ “CNC Technology Helps C.F. Martin Guitars Strum New Tune” (英語). woodworkingnetwork.com (2015年1月26日). 2022年1月15日閲覧。
- ^ “D-28 | Standard Series | Martin Guitar”. martinguitar.com. 2022年1月15日閲覧。
- ^ “Martin D-28 acoustic guitar market price”. Guitar Store. 2017年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月15日閲覧。
- ^ “D-28 or HD-28? What are the differences?” (英語). manchestermusicmill.wordpress.com. 2022年1月15日閲覧。
- ^ Johnston, Richard (2008). Martin Guitars: A History (1st ed.). New York: Hal Leonard Books. p. 129. ISBN 978-0-634-03785-6
- ^ Johnston, Richard (2008). Martin Guitars: A History (1st ed.). New York: Hal Leonard Books. p. 100. ISBN 978-0-634-03785-6
- ^ “Elvis Presley 1956 - Elvis Presley | Songs, Reviews, Credits | AllMusic” (英語). allmusic.com. 2022年1月15日閲覧。
- ^ “Elvis' 1955 Martin D-28” (英語). scottymoore.net. 2022年1月15日閲覧。
- ^ “Bob Dylan’s Guitars and Gear”. groundguitar.com. 2022年1月15日閲覧。
- ^ “Saint Dominic's Preview - Van Morrison | Songs, Reviews, Credits | AllMusic”. allmusic.com. 2022年1月15日閲覧。
- ^ “Gearbox: Joni Mitchell”. jonimitchell.com. 2022年1月13日閲覧。
- ^ “The Martin D-28 Acoustic Guitar and Jimmy Page of Led Zeppelin” (英語). spinditty.com (2021年11月14日). 2022年1月15日閲覧。
- ^ “The Weight”. bobdylan.com. 2022年1月16日閲覧。
- ^ “WATCH: THE BAND’S ROBBIE ROBERTSON DISCUSSES HOW HIS MARTIN D-28 INSPIRED THE WEIGHT” (英語). guitar.com (2020年2月17日). 2022年1月15日閲覧。
外部リンク
- “TheMoMI.org -- The Museum of Musical Instruments -- Article Archives” (英語). themomi.org. 2022年1月15日閲覧。
マーティン D-28(Martin D-28)
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「ポール・マッカートニー」の記事における「マーティン D-28(Martin D-28)」の解説
1967年より使用開始。ビートルズ時代からウイングス時代まで使用したモデルは1967年製の右利き用。ウイングス解散後には左利き用のモデルを使用。2002年以降のツアーやライブでも頻繁に使用している。
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「マーティン D-28」の例文・使い方・用例・文例
- マーティンが発明したアルゴリズムは、株価の変動によってオプション価格がどれくらい変化するかを予測することができる。
- 世界中の何百万という人々が、マーティン・ルーサー・キング牧師と彼の信念について知った。
- マーティンはとても疲れているようでしたね。
- マーティン・ルーサー・キング牧師の支持者の中には、平和的に抗議するという彼の信念に疑いの念を持つ物も現れ始めた。
- 馬勒でのマーティンの強奪は失敗した、そして、馬は走り去った
- 大きな民族−黒い民族−…文明の脈中への挿入された新しい意味および尊厳−マーティン・ルーサー・キング・Jr
- マーティン・リュテル・キングの暗殺の後で、我々の国は不穏な国だった
- アメリカ航空宇宙局(NASA)の協力のもと,ロッキード・マーティン社がこの映画を後援した。
- マーティン・スコセッシ監督の映画を実現するため,すばらしいキャストとスタッフ,そして莫(ばく)大(だい)な額のお金が集められた。
- そして彼は,悪徳企業アクメ社のミスター・チェアマン(スティーブ・マーティン)によって誘(ゆう)拐(かい)されてしまう。
- マーティン・スコセッシ監督は監督賞に5度目のノミネートを受けたが,獲得しなかった。
- ダビンチの専門家である英国・オックスフォード大学のマーティン・ケンプ名誉教授は,この絵画はダビンチの作品ではないと話す。
- この物語はホビットのビルボ・バギンズ(マーティン・フリーマン)を軸に展開する。
- ホビット族のビルボ・バギンズ(マーティン・フリーマン)は,13人のドワーフとともに,はなれ山を取り戻すために冒険の旅を続けている。
- ビルボ・バギンズ(マーティン・フリーマン)が,ホビット映画3部作の3作目「ホビット 決戦のゆくえ」で自身の冒険を終える。
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