マフィアとの関係と組織犯罪の撲滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 23:40 UTC 版)
「ロバート・ケネディ」の記事における「マフィアとの関係と組織犯罪の撲滅」の解説
司法長官として真っ先に取り組んだ仕事は、父親や兄のジョンと関係の深いマフィアをはじめとする組織犯罪の撲滅であった。マフィアとの関係を持つことを躊躇しなかった父や兄と違い、ロバートはマフィアを「アメリカの内なる敵」と見ていた。そのために司法省内に組織犯罪対策の特別班を結成し、徹底的な取締りを行った。 まず1961年4月4日に当時全米闇社会でナンバーワンの実力を誇っていたと見られるカルロス・マルセロを強制逮捕し、国外追放とした。また、マフィアとの癒着を疑われていたチームスター組合のジミー・ホッファを背任横領罪の罪で起訴した。このとき陪審員の意見が分かれてホッファは放免となったが、この裏にホッファによる猛烈な陪審員買収工作や脅迫があったことを突き止め、陪審員工作の罪で再び起訴し、ホッファを刑務所送りにすることに成功した。 この頃、マフィアとの関係が深かった父親のジョセフが主席法律顧問の職を降りる様に忠告するが、耳をかさず精力的に活動し、結果数多くの敵を作った。ジョセフが忠告した理由は、禁酒法時代に築いた自分とマフィアの酒の密売をめぐる親密な関係だった。ジョセフにとってそのことは弱みでもあったからである。さらに、マフィアは上記のようにケネディの選挙の恩人であり、CIAのカストロ暗殺計画の協力者でもあった。ロバート自身がカストロ暗殺計画を知っていたかどうかについては意見が分かれる。 1954年4月に妹のパトリシアと結婚したイギリスの俳優のピーター・ローフォードを通じて知り合い、大統領選挙の際に様々な貢献を行い、その後もジョンと親しい関係を持っていたフランク・シナトラと、シナトラの後見人的存在でジョンの選挙の際に選挙不正を手伝ってくれたシカゴのドンであるサム・ジアンカーナをジョンとケネディ政権から遠ざけた。 ジアンカーナはシナトラや、ジョンと愛人関係にあったジュディス・キャンベル・エグズナーらを使って、選挙不正への関与をネタにケネディ政権と取引しようとしたが、ロバートは選挙不正が表ざたになることを恐れてジアンカーナへの締め付けを一層強め、1963年6月には完全張り込みの対象としていた。その後司法省・商務省・国税庁を総動員して組織犯罪の本拠地のラスベガスを直撃する構想を1963年10月には完成させていたが、ケネディ大統領暗殺事件により中止となった。 ロバートが国外追放にしたマルセロは1962年に極秘裏にアメリカに戻り、司法省の強引な手法を違法であるとして裁判を起こし、勝訴した。FBIの報告によれば、1962年9月にマルセロは自身の本拠地であるニューオーリンズに全米のマフィアを集めてケネディ政権の組織犯罪潰しを罵り、彼らの暗殺を示唆している。また、ロバートの手により刑務所送りとなったジミー・ホッファは1971年に大統領特赦により釈放された。
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