マフィアとの蜜月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 16:04 UTC 版)
「ジミー・ホッファ」の記事における「マフィアとの蜜月」の解説
裏社会との付き合いは1930年代に遡り、組合ストや政敵排除でマフィアの協力を得る見返りに、各支部へのマフィアの強請を容認する関係だった。1937年、スト破り要員を経営陣に派遣していた地元デトロイトのマフィア幹部アンジェロ・メッリやサント・ペローネに賄賂を渡してスト破りを凍結する密約を結んだ。 出世してデトロイト以外に活動領域が広がると、裏社会の人脈も広がった。元シカゴ清掃組合委員長ポール・ドーフマンなど組合関係者を通じて未開拓な地域のギャングと知り合い、デトロイトマフィアを通じてニューヨークマフィアとも繋がった。 1957年の委員長選挙ではデトロイト、シカゴ、ニューヨークなど北米マフィアの強力なバックアップがあった。支持基盤が弱いニューヨークの組合数の嵩上げをルッケーゼ一家の組合エキスパート、ジョニー・ディオに依頼した。1960年代初めのFBIの盗聴によれば、ホッファはほぼ毎日デトロイトマフィアの通称トニー・ジャックことアンソニー・ジアカローネと連絡を取り合っていた。ほか付き合いのあったマフィアには、ホッファの委員長就任を後押しする代わりに自身の支部長昇格を助けてもらった通称トニー・プロことアンソニー・プロヴェンザノ(ニュージャージー、ジェノヴェーゼ一家)、組合関連でタッグを組んでいたラッセル・ブファリーノ(ピッツトン、いとこのBill Bufalinoは長年ホッファのコンサルタントを務めていた)、サント・トラフィカンテ(フロリダ)、カルロス・マルセロ(ニューオリンズ)などがいた。 巨額の年金資産をラスベガスに注ぎ込んだが、融資の仲介にマフィアと関係が深いモー・ダリッツやビル・プレッサーが関わった。ダリッツとの交友は1949年の洗濯業組合の労使紛争が発端とされるが、もっと古く1940年頃という説もある。獄囚時代には同じ刑務所にいたカーマイン・ギャランテ(ボナンノ一家)と親交を結んだと言われる。
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