ホークスビー (Hauksbee,Francis)
ホークスビーという人は
ピカールが発見した水銀燐光に着目し、この現象は摩擦が電気を発生させ、この電気が真空中で放電発光しているものだとした。真空放電、蛍光発光の先駆けである。
ホークスビーの主な経歴
ホークスビーの起電機
1709年、ゲーリッケ起電機の硫黄球をガラス球にかえて、火花放電、電気の引力、斥力の実験を行った。 ゲーリッケ起電機は、それ以前のものに比べれば安定な状態で火花放電を観察できるものであったが、装置が異音や光を発したり、人体にショックを与えたりすることがあった。 ガラス製の中空半球の容器内側全面に糸をつけ、容器中心にガラス球を置き、このガラス球を摩擦すると垂れていた糸は中心のガラス球に向かって伸びた。 このころから電気の引力作用は磁気のそれと似ているが、磁力に比べると力を保持できる期間が短いなど、相違点が認識されていった。
ガラス球による起電機はそれまでの硫黄球によるものよりも強い電気を発生させることが可能であり、この発明によって今でいう静電気を用いた実験はおおいに盛り上がっていった。
ホークスビー
ホークスビー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:04 UTC 版)
学会の会合を儀式張ったものにしてしまったニュートンは、科学愛好家の参加減少を防ぐために毎週の会合で楽しい実験を見せる人を探した。そこで目を付けたのが呉服商のフランシス・ホークスビーだった。ホークスビーはボイルの研究を受け継いで空気ポンプを堅牢で誰でも使えるものに改良し、そのポンプを使った実験を工夫した。1703年から1713年までホークスビーはほぼ毎週、学会の例会で様々な実験を見せた。ホークスビーの名前が最初に記録されたのは、1703年12月15日の会合である。1704年の会合で見せた「嵐の時に気圧計の水銀が下がる原因を示す実験」は1704年夏のフィロソフィカル・トランザクションズに掲載された。ホークスビーは全部で53通以上の論文を学会の会報に載せた。その研究を見るとホークスビーがボイルが空気ポンプを使って研究していたことを発展させているのが分かる。1705年の論文著者の肩書きには「王立学会会員」と付されている。ホークスビーの空気ポンプは「ジョージ三世コレクション」の一つとして、現在でもロンドンの科学博物館に展示保存されている。ニュートンはホークスビーが実験を演示するたびに「実験主任」に任命して給与を出しているが、フックのように実験主任として学会に雇われることはなかった。 ホークスビーは1706年の会報に「内面にみつろうを塗ったガラス球の外表面を摩擦すると光を発する実験について」を載せている。これは会員の前で演じた実験の報告で、ガラス球の中に水銀を入れて空気を抜き、ガラス球を激しく摩擦すると光を生ずるという発見だった。これは「摩擦発電機」の発明でもあったが、すぐに注目した会員はいなかった。ホークスビーは1709年に『いろいろな物質についての自然哲学的・機械学的実験』という本にまとめた。 1710年と1712年にそれらの実験を有料で見せる講座の広告を出している。ホークスビーとその仲間たちは、世界で初めて実験装置を使って公開科学講座を始めた。それは王立学会のまわりに厳然と存在していた身分の壁を取り払い、参加料さえ払えば身分、学歴、性別、年齢に関係なく誰でも実験のようすを見学し、体験できる機会を提供した。
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