ホークスを経てピストンズへ移籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:57 UTC 版)
「ラシード・ウォーレス」の記事における「ホークスを経てピストンズへ移籍」の解説
2004年2月、ウォーレスはアトランタ・ホークスへ放出された。その後まもなくトレード期限数時間前、デトロイト・ピストンズがウォーレス獲得に動いた。ウォーレスはホークスで1試合のみに出場し、ピストンズへ移籍した。ウォーレスが移籍したことを喜んでいたブレイザーズのファンは多数いたが、その数々の問題を起こしてきたウォーレスは、「チームバスケット」を掲げるラリー・ブラウンヘッドコーチ率いるピストンズに良くなじみ、エゴを捨てたチームプレイヤーとなった。それまではファン、審判、報道関係者等、多方面から素行に関しては良い評価を得られなかったウォーレスだが、同じチームの選手や関係者ら、ウォーレスの身近な人々からの評価は移籍当初から決して悪くはなかった。移籍して数ヵ月後、ウォーレスはピストンズの主力選手として、14年ぶりのNBAファイナル優勝をデトロイトにもたらす原動力となった。その後も攻守にわたって、さらに性格面からもピストンズの核となり、チームを牽引し勝利に大きく貢献しており、ウォーレスの調子がチームの勝敗を左右するといっても過言ではなかった。また、2006年と2008年にはNBAオールスターゲームにも出場した。
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