ホークスのエース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 14:47 UTC 版)
ハドソンはルーキーイヤーからいきなりチームトップとなる18.9得点をあげ、オールルーキー1stチームに選ばれた。翌1967-68シーズンは軍の召集のためシーズンの半分を欠場し、12.5得点の成績に終わったが、ホークスがセントルイスからアトランタに本拠地を移した1968-69シーズンにはいよいよエーススコアラーとしての頭角を現し、このシーズンは21.9得点6.6リバウンドを記録。以後、7シーズン連続でアベレージ20得点オーバーを達成する。翌1969-70シーズンにはさらに成績を伸ばして平均25.4得点をあげ、大黒柱だったゼルモ・ビーティが抜けたホークスを地区優勝にまで導き、オールスターとオールNBA2ndチームに初選出された。1972-73シーズンにはキャリアハイとなる27.1得点6.2リバウンドを記録。このシーズンから加入したピート・マラビッチと共にシーズン通算2000得点を達成し、チームメイト2人が同時に2000得点以上を達成した初めての例となった。 1973-74シーズン以降ホークスはプレーオフを逃し続けるようになり、またハドソン自身は故障がちになり、かわりにチーム内でハドソンとポジションが重なるジョン・ドリューが台頭を見せたことにより、ハドソンは1976-77シーズンを最後に11シーズン過ごしたホークスから去ることになった。ハドソンはオリー・ジョンソンとのトレードで、ロサンゼルス・レイカーズに移籍した。 ホークス所属時の通算16,049得点はドミニク・ウィルキンス、ボブ・ペティットに次ぐ歴代3位。キャリアハイとなる1試合57得点はウィルキンス、ペティットに並ぶフランチャイズ記録である。
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