ピストンズ、ジャズ、マーベリックスの飛躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 00:38 UTC 版)
「1983-1984シーズンのNBA」の記事における「ピストンズ、ジャズ、マーベリックスの飛躍」の解説
デトロイト・ピストンズが前季の37勝から49勝と躍進を果たし、7シーズンぶりにプレーオフに進出した。1981年に入団したアイザイア・トーマスはリーグ屈指のポイントガードに成長し、同期のケリー・トリピューカはチームの稼ぎ頭となっていた。彼らが入団した翌年にはゴール下の守護神となるビル・レインビアが加入し、徐々に陣容を整えていったピストンズは、このシーズン前にチャック・デイリーをヘッドコーチとして迎えた。後に"バッドボーイ"と呼ばれリーグ史の中でも極めて異質な存在として語れるピストンズは、いよいよ強豪チームとしての道を歩み始め、ボストン・セルティックス、フィラデルフィア・76ers、ミルウォーキー・バックスら三強が支配する東部戦線に割って入った。 ユタ・ジャズは創部10年目にして初の勝率5割以上となる45勝を記録。ミッドウエスト・デビジョンを制し、プレーオフ初進出も果たした。ジャズはこのシーズンのスタッツリーダー4部門を制覇した。1979年にロサンゼルス・レイカーズから移籍してきたスモールフォワードのエイドリアン・ダンドリーは以後ジャズのエースとして活躍、1980-81シーズンには得点王に輝き、そしてこのシーズンも30.6得点を記録して2度目の得点王となった。ジャズ生え抜きのシューティングガード、ダレル・グリフィスはスリーポイントシュート成功率で1位に、ポイントガードのリッキー・グリーンはスティール王に、守備に特化したセンターであるマーク・イートンはブロック王に輝いた。ヘッドコーチのフランク・レイデンは最優秀コーチ賞に選ばれた。また前季からアトランタ・ホークスのエースだったジョン・ドリューが加わっている。ジャズはこのシーズンを皮切りに20シーズン連続プレーオフ出場を果たすが、1990年代の黄金期を築き上げるメンバーは、まだこの中には居ない。 ダラス・マーベリックスは創部4年目でのプレーオフ初出場となった。初シーズンを15勝67敗でスタートしたマーベリックスは、翌年のドラフト全体1位指名でマーク・アグワイアを、9位指名でローランド・ブラックマンを獲得。同期の2人は二枚看板としてマーベリックスのフランチャイズビルダーとなり、今回のプレーオフ出場に繋がった。2人に率いられるマーベリックスは毎年のように勝率を上げていく順調な成長を見せ、80年代後半のロサンゼルス・レイカーズの有力なライバルチームとなる。
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