ベリエッサ湖の殺人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:19 UTC 版)
「ゾディアック事件」の記事における「ベリエッサ湖の殺人」の解説
1969年9月27日、パシフィック・ユニオン・カレッジ(英語版)の学生である20歳のブライアン・カルビン・ハートネル (英: Bryan Calvin Hartnell) と22歳のセシリア・アン・シェパード (英: Cecelia Ann Shepard) はベリエッサ湖(英語版) (英: Lake Berryessa) でピクニックを楽しんでいた。場所はツイン・オーク・リッジと砂嘴で繋がる小さな島である。2人の元を白人男性が近づいてきた。その男性は身長は約180センチメートル、体重は77キログラムを超える程度で、処刑人のような黒いフードを被り、両目の覗き穴にはクリップ留めのサングラスを掛けていた。胸部には胸当てのようなものがあり、それには7センチメートル四方の円と十字を組み合わせた記号が白色で描かれていた。男性は銃を持っており、ハートネルによれば45口径だったという。フードの男はコロラド州かモンタナ州にある2単語で構成される名の刑務所から逃げ出した囚人であると称した (後にある警察官が、その男性が言及していたのはモンタナ州ディアロッジ(英語版)<英: Deer Lodge>にある刑務所のことではないかと推測している)。男性は看守を殺害して車を盗んだと主張した。2人の車と金がメキシコへ向かうのに必要だと説明した。 男性は物干し用のプラスチック製の紐を切ったものを渡し、シェパードにハートネルを縛り上げるように命じた。その後、男性はシェパードを縛り上げると、シェパードがハートネルを緩く拘束したことを見抜き、ハートネルを固く拘束し直した。ハートネルは当初、強盗で済むと思っていたが、男性はナイフを引き抜いて2人を繰り返し刺した。ハートネルは6箇所の、シェパードは10箇所の刺傷を負った。犯人はノックスビル・ロードを460メートル進み、そこにあったハートネルの車のドアに黒のフェルトペンで円と十字を組み合わせた記号を描き、さらに記号の下に下記の内容を記した。 Vallejo 12-20-68 7-4-69 Sept 27–69–6:30 by knife 午後7時40分、犯人は公衆電話からナパ郡保安官事務所へ自ら通報した。通報者は最初、オペレータに殺人事件を通報したいと説明したが、その後に自分がその犯人であると明かした。通報から数分後、通報に使用された電話が、受話器が外れたままの状態で発見された。電話はナパのメイン・ストリートにあるナパ・カー・ウォッシュ (英: Napa Car Wash) にあり、犯行現場からは43キロメートル、保安官事務所からはほんの数ブロック離れた距離にあった。発見者はKVON(英語版)ラジオのレポーターであるパット・スタンレー (英: Pat Stanley) だった。刑事たちは電話機から乾ききっていない掌紋を採取できたが、掌紋は被疑者のだれとも一致しなかった。 近くの入江で釣りをしていた父子が、被害者たちの助けを求める叫び声を聞きつけて2人を発見した。父子はパーク・レンジャーに連絡をとって救援を呼んだ。ナパ郡保安官代理のデーブ・コリンズ (英: Dave Collins) とレイ・ランド (英: Ray Land) は犯行現場に到着した最初の法執行官だった。コリンズが到着したときにはシェパードには意識があり、犯人の外見を詳細に説明した。ハートネルとシェパードは救急車でナパにあるクイーン・オブ・ザ・バレー・メディカルセンター(英語版)に搬送された。シェパードは搬送中に昏睡状態に陥り、意識を取り戻すことはなく、2日後に死亡した。しかし、ハートネルは生き延び、報道機関に犯行について説明した。ナパ郡刑事のケン・ナーロー (英: Ken Narlow) は当初からこの事件の捜査に配属されており、1987年に刑事部を退職するまで捜査に取り組んでいた。
※この「ベリエッサ湖の殺人」の解説は、「ゾディアック事件」の解説の一部です。
「ベリエッサ湖の殺人」を含む「ゾディアック事件」の記事については、「ゾディアック事件」の概要を参照ください。
- ベリエッサ湖の殺人のページへのリンク