ベジャールによる創造とは? わかりやすく解説

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ベジャールによる創造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 07:45 UTC 版)

ザ・カブキ」の記事における「ベジャールによる創造」の解説

佐々木と黛がパリ訪れベジャールと打ち合わせおこなったが、ベジャールは台本についての詳細なプラン持っておらず、黛はまず自由に曲を作ることを求められた。黛は各シーン始め義太夫入れ三味線などによる下座音楽オーケストラ併用することを提案し、ベジャールもこれに賛同した。 「セリフ用いず歌舞伎ストーリー音楽表現する」という難題乗り越え、黛は『仮名手本忠臣蔵』十一段を短縮し2幕9場に構成し直した。なお、現代東京から始めることや、ロックを使うというアイデアはベジャールによるものである。 バレエ音楽レコーディング邦楽部分から先に行われ1985年12月28日に黛自身指揮東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団によるオーケストラ部分録音終了した。同じ頃、ベジャールは『ザ・カブキ振付のために来日しており、音楽レコーディングにも立ち会った。 ベジャールは1984年末から正月挟んで1ヶ月日本滞在しこの間集中してザ・カブキ』の振付行った午前中にホテルで黛の音楽聞いて振付構想固めてから午後からスタジオで振付を行うというものであり、ベジャールは振付行いながら衣裳美術次々と注文出し音楽ストーリーさえも変更しながら作品作り上げていった。 プロローグ若者たち衣裳試行錯誤の末に白のトレーナー統一され音楽については、第6場「山崎街道」のために用意していた管弦楽曲丸ごと下座音楽差し替えられ、余った山崎街道」のための音楽は、討ち入りバリエーションを踊る場面転用されることになったストーリーについては、当初歌舞伎では九段目にあたる「山科閑居」が使われるはずであったが、振付途中でベジャールは外伝南部坂雪の別れ」と差し替えることにした。 また、四十七士切腹シーン前にダンサー達が火事場装束から白装束着替える必要があったが、その間持たせるためにベジャールは原作にない塩冶判官亡霊登場させ、師直の首を持ってくる演出加えた。 そのラストシーン自体大きく変更された。当初は、現代世界から「忠臣蔵」の世界タイムスリップした若者は、討ち入り果たした後で再びプロローグと同じ現代東京戻り昔の人々と現代若者対比させるという構造になる予定であった。ところが、全員切腹するシーン通し稽古見たベジャールは感動のあまり涙を流し現代には戻さず切腹場面でストーリー終えることを決めた。 黛は討ち入りの場のために電子音楽用意していたが、フィナーレ変更に伴いお蔵入りとなった。 ベジャールは黛の旧作片っ端から聞きあさり、黛が1958年作曲した涅槃交響曲』の最終楽章第6楽章)をバレエフィナーレ音楽に使うことにした。

※この「ベジャールによる創造」の解説は、「ザ・カブキ」の解説の一部です。
「ベジャールによる創造」を含む「ザ・カブキ」の記事については、「ザ・カブキ」の概要を参照ください。

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