ヘーウッドの公判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/16 11:40 UTC 版)
「アルバート・ホーズリー」の記事における「ヘーウッドの公判」の解説
絞首刑死刑に直面して、オーチャードは、ピンカートンの探偵ジェームズ・マクパーランド(James McParland)にフランクス・チューネンバーグの暗殺を告白し、さらに少なくとも他の16人の謀殺を告白した:90。オーチャードは、スチューネンバーグの謀殺は、ウィリアム・ダドリー・ヘーウッド(William Dudley Haywood)、チャールズ・モイヤー(Charles Moyer)、そしてジョージ・ペティボーン(George Pettibone)、いずれもウェスタン・フェデレーション・オヴ・マイナーズ(Western Federation of Miners)の指導者、に命令されたと証言した。訴追側は、組合指導者らは、コー・ダリーン_(アイダホ州)の労働争議中の暴力諸事件ののちの戒厳令の布告を含む組合坑夫らに対する厳しい措置に対する報復としてスチューネンバーグを殺す計画を立てていた、と主張した。 訴追者らは、ヘーウッドがいちばん弱いと考えて、公判に付される被告人3人のうちの1人目に選んだ。片眼は盲目の、日焼けしてごつごつした外見は、政治的に急進的な言葉とあいまって、陪審員の心に、陰謀および謀殺と関係がありそうに見せる、と訴追側は考えた。アイダホ法の下では、陪審員らは、オーチャードの証言の、他の証拠によって裏付けられる部分のみを考慮するように指示された。これは特に困難であったが、これはアイダホ州でオーチャードとともに滞在したWFM職員が姿を消していて見つけられなかったからである。訴追側は、オーチャードの証言の他の部分をスティーヴ・アダムズへの告白で裏付けたいと希望したが、アダムズは、告白は強要されていた、と主張して、それを放棄した。 訴追側は、探偵マクパーランドの相当な支持と命令を受けて、そして知事フランク・R・グッディングの助力を受けて、行動した。訴追側主任弁護士らは、ウィリアム・ボーラとジェームス・H・ホーリー(James H. Hawley)であったが、彼らは、西部の鉱山技師と実業家によってひそかに供給された金銭によって支払われた。オーチャードの証言は、公判に通っている記者らにとって説得力があった:116。 公判中、『マックリュアズ』(McClure's)雑誌は、グッディング知事に、オーチャードの告白と自伝を連載することを提案した。マクパーランドは、オーチャードの告白の最大限の宣伝が欲しかったが、彼は、彼の話のところどころを明らかにし埋める目的で、書類を彼といっしょに調べるためにオーチャードに広範囲の接触することを『マックリュアズ』に許すことに気が進まなかった。マクパーランドは、もし『マックリュアズ』に接触させれば、記者団を怒らせるだろうと反対した。知事グッディングは、マクパーランドにとりなし、そしてマックリュアズは独占的にオーチャードに接触することができた。「ハリー・オーチャードの告白と自伝」("Confession and Autobiography of Harry Orchard")の第1回分が『マックリュアズ』1907年7月号に掲載される一方で公判はなおも進行中で、1907年11月号まで続いた。 弁護側は、オーチャードは、スチューネンバーグを謀殺する彼自身の個人的な動機があった、と主張した。弁護側弁護士クラレンス・ダロー(Clarence Darrow)およびエドマンド・F・リチャードソン(Edmund F. Richardson)は、もしオーチャードが鉱山の16分の1の株式を売らざるを得なくなかったならば、彼は裕福になったであろう、と主張した。オーチャードは、訴えを否定していた。ヘーウッド弁護団は、3つの州から、オーチャードがスチューネンバーグに対する怒りを自分らに語ったと証言する複数の証人を出した。そのうち数人は、オーチャードは元アイダホ州知事に復讐を企てることを誓っていた、と述べた:125。しかし、訴追側は、オーチャードが労働紛争が始まったより前に鉱山の株式を売ったという証拠を提出した。ダローはのちに、売却の日付はオーチャードにとって重要であるようにおもわれない、と述べた。彼は、「彼がそれを処分した1年後に(ふたたび)この利権を売ろうと努めた」("tried to sell this interest (again) a year after he had disposed of it") 弁護側は、ピンカートンによる、WFMの広範囲にわたる潜入、スパイ行為、そしてサボタージュの証拠を提出した。ひとりの証人は、ジェームズ・マクパーランドの元速記者モリス・フリードマンであった。ヘーウッドは、自分を弁護し、5時間におよぶ反対尋問を受けても十分に説得力があった。それから弁護側は、オーチャード家の狂気にかんする彼らのいわゆる「びっくりさせるような新証拠」("startling new evidence")を提出したが、そのなかには「鎖でつないでおく」("chained up")必要がある祖父、気が狂ったおじも含まれていた。オーチャードは、おじの1人が家庭問題で「痴呆症にかかって」("demented")首吊り自殺を遂げていた、と認めたが、母方の祖父のことはなにも知らない、彼は自分が生まれる前に死亡した、と証言した。 ヘーウッドおよびペティボーンの両者の公判の主任裁判官フレモント・ウッド(Fremont Wood)は、オーチャードの、各公判の長引く厳しい反対尋問を受けて持ちこたえている様子に強い印象を受け、オーチャードの証言は事実である、と考えた。ウッドの経験では、だれも、多年にわたる、多くの場所におよぶ、そんなにたくさんの人々を含む、そんなに複雑な話をでっちあげ、実質的に矛盾したことを言わずに、反対尋問を受けて持ちこたえるはずがなかった。ウッドはのちに、訴追側言い分は納得のいくようにオーチャードの証言を裏付けなかったが、弁護側によって立たされた証人らは、オーチャードを裏付ける仕事を訴追側がしていた以上によくした、と書いた。
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