ブルートレインの転換期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 15:44 UTC 版)
「ブルートレイン (日本)」の記事における「ブルートレインの転換期」の解説
これら"ニューブルートレイン"が登場した1970年代、とりわけ後半から、国鉄の運賃・料金の値上げと航空機・新幹線・高速バスの普及などによる寝台列車自体の衰退が始まっており、国鉄が、居住性を改善した新形式車の周知を図るため、「星の寝台特急」と称したPR作戦を行った。 例えば、1974年4月の24系25形寝台車登場以降、B寝台に設備について扉上部に星の数で表記を行った。 B寝台の区分表示寝台内容該当車両★3段式寝台客車 20系客車未改修の14・24系寝台客車 ★★3段式寝台電車 581・583系 ★★★2段式寝台客車 新製車両としては14系15形・24系25形が該当14・24系でも2段式に改修された車両 ★★★★4人個室寝台「カルテット」(1984年登場) オハネ14形700番台、オハネ24形700番台 また、このキャンペーンによって、寝台専用列車を表す「流れ星」のマークが登場している。編成最後部でも方向幕を採用した14・24系では、1979年7月頃より"テールマーク"として図案化し、列車毎に使用することで差別化を図った。 この施策は、ほぼ同時期に種別・列車名幕を設置した電車による昼行列車で採用された、「絵入りヘッドマーク」と並行して行われた。これは、従来は牽引する機関車や最後部車両にヘッドマークを取り付けていたが、このヘッドマークの取り付けが、東海道・山陽本線区間を牽引する電気機関車群を除き、保守の省力化に伴い1970年代までに事実上廃止されていたため@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}、これを簡易的な形ではあるが復活させる意味合いもあったとされる[要出典]。このため、寝台特急列車のうち「安芸」「いなば」は、ヘッドマークも絵入りテールマークも設定されなかった。この図案化したテールマークはおおむね好評だったことから、定期列車として運用されていた20系客車でも用いられた事例もある。 しかし1975年3月の山陽新幹線博多開業、1976年11月の国鉄運賃・料金の大幅な値上げ、国鉄の赤字拡大によるサービスの簡略化はブルートレインの乗客を大幅に減らし、1978年10月改正・1980年10月改正では乗客減の為主に関西 - 九州間列車を中心に多くのブルートレインが廃止され、積極的なテコ入れ策もないまま国鉄末期を迎えようとしていた。 なお、全車寝台車の急行列車は走行距離が600km以内と比較的短く、多くは東北・上越新幹線の開業で存在価値を失ったこともあって、比較的安定した需要のあった東海道本線を運行していた「銀河」を除き、JR移行前に全廃された。
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