ブライ総督への判決とは? わかりやすく解説

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ブライ総督への判決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 01:44 UTC 版)

ラム酒の反乱」の記事における「ブライ総督への判決」の解説

1808年1月26日午前ブライは再びマッカーサー拘引し、またその時点で軍団の手中にあった召喚令状取り戻すように命じた軍団新し法務長官法廷出席と、保釈中のマッカーサー自由にすることを要求してこれに応えたブライ軍団士官たちを政庁呼び出して法務官による告訴応じさせ、ジョンストンには、軍団のやったことは大逆罪であると考えていると通知したジョンストンは、ブライに代わって刑務所へ行きマッカーサー釈放するように指令発したその後マッカーサーは、ジョンストン呼んでブライ逮捕した後に植民地実権握らせるための請願書起草した。この請願書軍団士官たちと著名な市民署名をしたが、エバットによると、ほとんどの署名は、恐らくはマッカーサーたちがブライ安全に軟禁して、逃亡の心配がなくなった後になって加えられたものだったその後ジョンストン士官たちと謀って、このような指令発した。それは、ブライ人品賤しからぬ犯罪者であることを告発され、そのため住民その瞬間から、この植民地ふさわしくない最高権威に権力行使させることになり、そのふさわしくない者の告発我が指揮下のすべての士官加わったというもので、ジョンストンは、ブライ辞任して逮捕受け入れるよう叫び続けた26日午後6時ニューサウスウェールズ軍団すべての部隊隊旗ブライ逮捕するべく政庁行進したブライの娘メアリーパラソルで邪魔をしたが、トマス・レイコック中尉がついにブライを見つけ出した。ブライ第一礼装軍服をつけており、ベッド陰に隠れていた。その場所は、ブライ情報提供書類隠していると言い張った場所だった。ブライ風刺画では臆病者のように描かれているが、ジャーナリストのマイケル・ダフィ(英語版)は、もしブライ隠れていたのであればそのまま逃げて軍団による政変阻止しただろうと主張している。スティーヴン・ダンドー・コリンズ(英語版)も著書ブライ艦長もうひとつ反乱」(Captain Bligh's Other Mutiny) でこれに同意しており、ブライはホークスベリーに逃げて、自らを強力に支援する入植者たちを率いて軍団対決する計画だったというところまで示唆している。ブライと娘のメアリーは、政庁監禁された。ブライは法にのっとって解任されない限りイギリスへ戻るのを拒否したジョンストン建築技師のチャールズ・グライムズ(英語版)を法務官任命してマッカーサーと6人の士官裁判命じ全員無罪となったその後マッカーサー植民地事務官任命され植民地商務をうまく切り回した。ブライもう一人大きな敵であり、マッカーサー同盟者であるトマス・ジェイミソンは植民地海軍士官任命された、海軍士官地位関税物品税徴収官と同等であった。ジェイミソンもまた治安判事として復帰しこのため、ジェイミソンと仲間法務官僚は、ブライ私文書を、免職された総督悪行証拠として徹底的に調べた1809年6月にジェイミソンはロンドン発った自分事業における権益強固なものにするため、そして、抵抗勢力へのどの告発においても、ブライへの不利な証言をするためであった。しかし1811年初頭、ジェイミソンはロンドン亡くなり、その年の6月初め開廷された、ジョンストン軍法会議での証言機会得られなかった。 ブライ逮捕から少したって無名画家による逮捕描いた水彩画シドニーの、おそらくはオーストラリア初の公共展覧会陳列された 。この絵では、兵士が、政庁内の召使ベッドの下にいるブライ引きずり出そうとしているところで、他に2人兵士がそばに立っている。描かれている2人兵士は、おそらくはジョン・サザーランドとマイケル・マルバラであり、一番右側にいる兵士は、ウィリアム・ミンチンを表していると思われる。この、現存するオーストラリア初期政治風刺画や、それに類する絵画は、戯画誇張とを使って意図するところを伝えている 。ニューサウスウェールズ軍団士官たちは、自らをジェントルマンであると考えブライ臆病者と描くことで、ブライジェントルマンでもなく、そのため行政には不向きであることを表現している。そもそもこの絵は、ブライが、都市計画の邪魔になるホイットル上級曹長の家を取り壊すように要求しブライホイットル口論になったことに端を発している 。ホイットルがこの絵の作成関与した、あるいは自分でこの絵を描いたのでないかと思われてきたが、彼は教育受けていなかったため、そうではないと思われている 。

※この「ブライ総督への判決」の解説は、「ラム酒の反乱」の解説の一部です。
「ブライ総督への判決」を含む「ラム酒の反乱」の記事については、「ラム酒の反乱」の概要を参照ください。

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