フォイエルバッハの人間主義へとは? わかりやすく解説

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フォイエルバッハの人間主義へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 19:33 UTC 版)

カール・マルクス」の記事における「フォイエルバッハの人間主義へ」の解説

マルクスの再勉強ヘーゲル批判から始まった。その勉強の中で『キリスト教本質』(1841年)を著したフォイエルバッハ人間主義唯物論から強い影響を受けるようになったフォイエルバッハ以前無神論者たちはまだ聖書解釈学範疇から出ていなかったが、フォイエルバッハはそれを更に進めて神学人間学にしようとした。彼は「人間個人として有限無力だが、類(彼は共同性を類的本質考えていた)としては無限で万能である。神という概念は類としての人間人間自らが人間の外へ置いたに過ぎない」「つまり神とは人間である」「ヘーゲル哲学の言う精神あるいは絶対的な物という概念キリスト教の言うところの神を難しく言い換えたに過ぎない」といった主張を行うことによって「絶対者」を「人間」置き換えようとし、さらに「歴史推進力精神的なものではなく物質的条件総和であり、これがその中で生きている人間思考し行動させる」として「人間」を「物質」と解釈したマルクスこの人主義的唯物論深く共鳴し、後に『聖家族』の中で「フォイエルバッハは、ヘーゲル哲学秘密暴露し精神弁証法絶滅させた。つまらん『無限の自己意識』に代わり、『人間』を据え置いたのだ」と評価したマルクスはこの1843年弁証法市民社会階級対立などの社会科学概念のみ引き継いでヘーゲル哲学観念的立場から離れフォイエルバッハ人間主義立場に立つようになったといえるマルクス1843年3月から8月にかけて書斎に引きこもってヘーゲル国法批判(Kritik des Hegelschen Staatsrechts)』の執筆あたった。これはフォイエルバッハ人間主義立場からヘーゲル国家観批判したのであるヘーゲルは「近代においては政治的国家市民社会分離しているが、市民社会自分のみの欲求満たそうとする欲望体系であるため、そのままでは様々な矛盾生じる。これを調整するのが国家であり、それを支えるのが優れた国家意識をもつ中間身分官僚制度である。また市民社会身分(シュタント)という特殊体系をもっており、これにより利己的な個人他人結び付き国会(シュテンデ)を通じて国家普遍的意志結合する」と説くが、これに対してマルクス国家市民社会分離しているという議論には賛同しつつ、官僚政治身分国会両者媒介役を務めるという説には反対した。国家主体化するヘーゲル反対し、人間こそが具体物であり、国は抽象に過ぎないとして「人間体制原理」とする「民主制」が帰結論じ、「民主制のもとでは類(共同性)が実在してあらわれる」と主張するこの段階では「民主制」という概念語ったが、後にマルクスはこれを共産主義置き換えて理解していくことになる。

※この「フォイエルバッハの人間主義へ」の解説は、「カール・マルクス」の解説の一部です。
「フォイエルバッハの人間主義へ」を含む「カール・マルクス」の記事については、「カール・マルクス」の概要を参照ください。

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