ピアノ協奏曲第3番の楽章数
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「アンダンテとフィナーレ (チャイコフスキー)」の記事における「ピアノ協奏曲第3番の楽章数」の解説
モデスト・チャイコフスキーは兄の死後、兄の友人でかつての門弟であったセルゲイ・タネーエフに、未完成のまま残された作品のスケッチを仕上げるように頼んだ。1894年11月にタネーエフは、ピアノ協奏曲に転用されるはずだった緩徐楽章と終楽章の調査に手を着け、モデストに次のように書き送っている。 「ピョートル・イリィチのノートから、未来のピアノ曲の2楽章のスケッチを書き写しました。まず私は浄書して、それからそれらのオーケストレーションに取りかかっています。〈アンダンテ〉は惚れ惚れしますが、惜しむらくはピョートル・イリィチはこれを管弦楽のために残したのではなく、ピアノ曲に編曲していたのです。」 その後の作業は、疑いなくかなりの時間を要した。タネーエフとモデストの2人は、この楽曲をどのように出版してよいのか頭を抱えていた。チャイコフスキーの当初の1892年の発想に戻って、交響曲の2楽章とすべきか、それともピアノと管弦楽のための2楽章として完成させるべきかで悩んだのである。 明らかにタネーエフとモデストは、初めのうちは、純粋に管弦楽曲とする方向を究めようと決めていた。後者のもう一人の友人であるアレクサンドル・ジロティは、1895年4月にモデストにこのように書き送っているからである。 「大いに悔やまれるのは、『アンダンテとアレグロ』がピアノ曲として出版されないということです。」 ジロティの発言に影響されたのか、それとも単にタネーエフとモデストが自分たちで考え直したのかはともかくも、結局タネーエフは協奏曲形式に改作した。1895年8月24日にタネーエフはモデストに、「ピョートル・イリィチのピアノ曲の管弦楽化を終えました。私はモスクワに着き次第、最後の仕上げをしたら総譜をあなたに手渡します」と報せている。だが、総譜の改訂は遅々として進まなかった。タネーエフは、1896年2月26日付けの私信の中で、「それはもうじき調います」と約束しているからである。 この2楽章をどのような順序でどうやって出版すべきかも問題であった。すでにユルゲンソン社が、協奏曲の開始楽章を独立した楽曲として出版してしまっていたという事実のために、この話は厄介になったのである。モデストとタネーエフは、結局『アンダンテとフィナーレ』を、演奏会用序曲『運命』『嵐』ならびに交響的バラード『地方長官』とまとめて、ベリャーエフ社に委託した。 ミトロファン・ベリャーエフからタネーエフ宛ての書簡の中で、『アンダンテとフィナーレ』をどのように出版すべきかという問題がもう一度浮かび上がった。ベリャーエフは言う。 「この2楽章は管弦楽曲として出版すべきだと仰言いますが、管見によると、そんなことは後でもできるのです。小生としましては、資料を頂戴したい。印刷工程を中断させずに済むように。」 ベリャーエフは4月27日付けの書簡においても問題を提起している。 「関連する疑問点です。ユルゲンソンがとっくに第1楽章を出版してしまっているのですから、弊社では、ピョートル・イリィチのピアノ協奏曲の未発表の2つの楽章をどうやって出版するのがよろしいでしょうか? 協奏曲の放棄された2楽章とは、とても呼べたものではないでしょう! でも、たとえば『2楽章の第4ピアノ協奏曲』や『2つの演奏会用小品』などと、独立した楽曲として出版してもよろしいですか?それとも、未完成の交響曲からの2つの楽章として、管弦楽曲形式でなければ、出版するのはまずいでしょうか?」 結局ベリャーエフ社は、1897年にタネーエフ版の『アンダンテとフィナーレ』(すなわちピアノと管弦楽のための版)を出版した。『ピアノ協奏曲第3番』とは別個の作品だが、ゆかりのある作品として発表されたため、ユルゲンソンが協奏曲に作品75という番号を付けたのに対して、『アンダンテとフィナーレ』は作品79という番号が付けられた。初演は1897年2月8日にサンクトペテルブルクにおいて、タネーエフをソリストとして行われた。 タネーエフは1898年10月17日に、モスクワで開かれたミトロファン・ベリャーエフ主催の「ロシア交響楽演奏会」において、『アンダンテとフィナーレ』を再演した。指揮はニコライ・リムスキー=コルサコフだった。タネーエフは、この演奏会では、ピアノ・パートをいくらか手直しした。 「私は、ピョートル・イリィチが書いたすべての音符を残しておきましたが、ピアニストがもっと興味をそそられるように手を入れました。私の見たところでは、そのほうがこの協奏曲はうまくいきそうだからです。」
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