バンド創成期、カイ・ハンセンのボーカル時代
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「ハロウィン (ドイツのバンド)」の記事における「バンド創成期、カイ・ハンセンのボーカル時代」の解説
ハロウィンの前身は1978年にカイ・ハンセン(ボーカル・ギター)とピート・シールク(ギター)がハンブルクで結成したジェントリー(Gentry)というバンド。1981年にセカンド・ヘル(Second hell)へ改名し、インゴ・シュヴィヒテンバーグ(ドラム)・マーカス・グロスコフ(ベース)が加入したが、シールクがエンジニアになるために脱退。今度はアイアン・フィスト(Iron Fist)に改名した。1982年、ギタリストのマイケル・ヴァイカートは自分のバンド、パワーフール(Powerfool)にハンセンを誘うが、結局、ヴァイカートがアイアン・フィストへ加入した。 前述の経緯でHelloweenにバンド名が確定し、1984年にノイズ・レコードのコンピレーションアルバム『Death Metal』に『Oernst Of Life』・『Metal Invaders』の2曲で参加。このアルバムには、同じハンブルクのバンドで、当時ハロウィンよりビッグと見なされていたランニング・ワイルドも参加していた。同年、ノイズ・レコードと正式に契約。 1985年2月、ミニ・アルバム『Helloween』でデビュー。ランニング・ワイルド等の地元バンドとの競争が激しかったハンブルクに、バンドの存在を知らしめた。同年12月に発売された初のフルレンス・アルバム、『Walls Of Jericho』は、ドイツ国内での総売上は約11万枚を超え、スコーピオンズと並ぶヒットとなった。国内のみならず、海外の各音楽雑誌等にも取り上げられ、スピード・メタルとして高い評価を得る。だが、ヴァイカートはメロディアスさに欠けるスピード・メタルというジャンルに、自分達の音楽性を当てはめられることを不満に感じていた。1986年9月リリースのシングル『Judas』を最後に4人編成時代は終了する。 当時でいうところのメロディック・スラッシュメタルのゴリゴリとした狂暴なサウンドのギターリフと疾走するドラムが最大の特徴であった。それに加えて、ハンセンがギターを弾きながら、「魔女のような歌声」とハイトーンシャウトで歌うスタイルが載せられ、ポピュラーさよりもパワフルさ重視の典型的なヘヴィメタル楽曲が揃うこととなった(これがパワー・メタル/メロディックスピードメタルの創始という説で定着している)。 楽曲制作はハンセンとヴァイカートの二人によって手がけられる。実質的にサウンドスタイルは、ヴァイカートよりも多数の曲を書いているハンセンの意向が多く反映されているため、ブラック・サバス、ジューダス・プリースト、アクセプト、メタリカなどの先輩バンドに影響を受けたような雰囲気が漂っている。実際にアレンジと歌詞だけ変えたような「似ている」楽曲もいくつかあり、このことが現状路線を続けたいハンセンと多様性を求めるヴァイカートとが決別する遠因となった。だが、当時の二人は友人であったのは事実で、いくつか難しい状況に陥ったこともあるが、後の問題に比べれば大したことではなかったという。 当時はバンドのマスコットキャラクターとして、「Fang Face」というマントを纏った醜悪な顔をした男を、ジャケットイラストやライヴで登場させていた。その後、ヴァイカートがこのFang Faceのことを、アイアン・メイデンの真似をしている(デザインがアイアン・メイデンのマスコットキャラであるエディと酷似している)という理由で嫌いになったため、『Walls Of Jericho』のジャケットイラスト以降は使用していない。代わりにカボチャ(ジャック・オー・ランタン)をモチーフにしたキャラクターが『Judas』以降現れることになり、こちらは現在まで多くのジャケットやライヴに登場している。 ノイズ・レコードとの契約を、ヴァイカートは最低最悪だったと言い、契約しなければ1989年のハンセンの脱退も起こらず、コマーシャル性を前面に打ち出した1993年リリースのアルバム『Chameleon』を作ることもなかったと批判している。
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