バンクーバー五輪で銀メダル獲得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:10 UTC 版)
「浅田真央」の記事における「バンクーバー五輪で銀メダル獲得」の解説
2008-2009シーズンからはタチアナ・タラソワに師事。苦手なルッツやサルコウをプログラムに入れること、フリーで2度の3回転アクセルを跳ぶこと、フリーの『仮面舞踏会』でこれまでとは違う傾向のプログラムを滑ること、と多くの課題に挑戦した。シーズン2戦目、NHK杯のフリーで2度の3回転アクセルに挑戦し、2度目が回転不足判定となったものの、他の出場選手に大差をつけて優勝した。そして、金妍兒の地元韓国という「完全アウェー」 で開催されたGPファイナルで、国際大会では女子史上初となる2度の3回転アクセルに成功し、3季ぶり2度目の優勝を果たした。全日本選手権では3連覇を達成。世界選手権では、SPで3回転フリップ-3回転ループが認定される一方、3回転ルッツが2回転になり出遅れた。フリーは再び2度の3回転アクセルに挑んだが、転倒や小さなミスが重なって総合4位となり、シニア国際大会では初めて表彰台を逃した。2009年国別対抗戦はSPで3回転アクセルのコンビネーションに成功、フリーでは2度の3回転アクセルに挑戦(2度目が回転不足判定)し、自身初めて200点を越える総合得点を出して女子シングル1位となった。このシーズンはジャンプの回転不足が厳しく判定される傾向にあったため、3回転-3回転が成功と見なされないことが多く苦心した。GPファイナルの優勝後に、視聴者に「浅田選手よりもキム選手のほうが実力が上」と感じさせる報道をした日本のマスコミ(フジテレビ系番組「情報プレゼンター とくダネ!」、後に不適切な表現であったと謝罪)の評価 がある事を聞いて落ち込み、一時期は練習の意欲を失った。世界選手権連覇の重圧に苦しむなど、メンタルコントロールの難しさも課題となった。 2009-2010シーズンはルッツ、サルコウ、3回転-3回転のコンビネーションジャンプをプログラムに入れず、SP・フリーで計3度の3回転アクセルを決めることに集中する構成を組んだ が、GPシリーズでは、3回転アクセルが6回中1回しか成功せず、エリック・ボンパール杯は2位、ロステレコム杯は5位に終わった。シニア移行後初めてGPファイナル進出を逃すほどの不調に、国内外のスケート関係者からは「フリープログラムの『鐘』が合っていない。もっと浅田に合った滑りやすいプログラムに変えるべきではないか」との意見も聞かれた。全日本選手権では復調を見せ、4連覇を達成してオリンピック代表に決定。韓国で開催された四大陸選手権ではフリーで2度の3回転アクセルを成功させ優勝。なお、この大会で浅田は競技前に妨害予告を受けた と報じられた。 バンクーバーオリンピックでは、オリンピックの女子としては初となるSPでの3回転アクセルに成功し、2位につける。フリーでも2度の3回転アクセルを成功させるが、後半の3回転フリップが回転不足となりオーバーターン。また3回転トウループが1回転となってしまった。それでも2度の3回転アクセルに加え、成功した要素のGOEと演技構成点では高評価を得て自己ベストを更新し、銀メダルを獲得した。その夜、悔しさを引きずる娘に母は「銀メダルって凄いんだよ」と言い、その言葉があったことで、浅田は結果を受け入れることができた。 世界選手権では、オリンピック金メダリストの金妍兒を破って2年ぶりに金メダルを獲得。
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