バンクーバー五輪シーズンまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:09 UTC 版)
「キム・ヨナ」の記事における「バンクーバー五輪シーズンまで」の解説
2006-2007シーズンからはISUグランプリシリーズに参戦。2戦目のエリック・ボンパール杯でGPシリーズ初優勝を飾り、GPファイナルでSP3位から逆転して初出場初優勝を果たした。しかし12月初旬から軽度の椎間板ヘルニアによる腰痛が酷くなり、国内選手権や冬季アジア大会を欠場した。世界選手権では、SPでISU歴代最高得点を記録して首位に立った。しかし、FSでは得点が伸びず、総合順位は3位となった。2007年初めからカナダに拠点を移し、ブライアン・オーサーにコーチを変更した。。オーサーのほか、デヴィッド・ウィルソンを振付師に、トレイシー・ウィルソンをスケーティングと表現力のコーチとするチームを組む。なお、オーサーにとってはキム・ヨナがコーチ転向後初の教え子である。オフシーズンには弱点である体力を強化するためのトレーニングに多くの時間を割いたという。また、「IMGコリア」とは2010年末までの長期契約を結んでいたが、契約を解除しIBスポーツと契約した。 2007-2008シーズン、GPシリーズ中国杯、ロシア杯と2連勝。ロシア杯のFSではIJS(ISUジャッジングシステム)の女子シングル歴代世界最高得点を記録した。GPファイナルでも2連覇を達成した。韓国で開催された四大陸選手権は怪我のため欠場した。世界選手権では、SPは5位と出遅れたものの、FSで追い上げ2年連続の3位になった。 2008-2009シーズン、長年悩まされていた腰痛と股関節痛が完治し、万全の状態でシーズンに臨んだ。GPシリーズスケートアメリカ、中国杯は他の出場選手に大差をつけて連勝した。地元の韓国で開催されたGPファイナルでは浅田真央に逆転され2位に終わった。四大陸選手権はSPで当時のISU歴代最高得点を更新し、初優勝を果たした。世界選手権ではSPで再びISU歴代最高得点を更新、2位に大きく差を付ける76.12点をマークした。FSでは後半のサルコウジャンプが抜け最後のスピンもノーカウントになる大きなミスを犯すもシーズン初の130点台を出し、総合得点は女子国際大会史上初めて200点の大台に達し初優勝。なお、同大会の開幕直前のTVのインタビューで「これまで競争相手の選手に試合直前の練習を妨害されてきた」と発言したことから騒動となった。 詳細は「キム・ヨナによる練習妨害発言」を参照 2009-2010シーズン、3回転-3回転を今までのフリップ-トゥループからルッツ-トゥループに変更。GPシリーズエリック・ボンパール杯ではSPで76.08点をマーク。FSでは3回転フリップを跳ばないミスがあったがFS、総合得点共にISU歴代最高得点を更新し優勝した。スケートアメリカではSPのISU歴代最高得点を更新、FSでは3回転フリップで転倒するなどの大きなミスがあり、FSでは2位。SPで2位のレイチェル・フラットに大差を付けていたため総合得点では1位となった。GPファイナルではミスが続き、安藤美姫に続く2位スタートとなった。FSでもミスが続いたが総合得点で安藤を上回り、2年ぶり3度目の優勝を果たした。バンクーバーオリンピックでは、SP・FSともにISUジャッジングシステムでの歴代最高得点を更新して金メダルを獲得した。 五輪後、世界選手権では浅田真央に敗れ銀メダルとなった。SPではジャンプ、スピン、スパイラルでミスが続き精彩を欠いた演技で7位。FSでも転倒やジャンプが抜けるなどのミスが続いたがGOEやPCSで大きな点を得て1位となり、総合2位へと巻き返した。
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バンクーバー五輪シーズンまで
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「金妍兒」の記事における「バンクーバー五輪シーズンまで」の解説
2006-2007シーズンからはISUグランプリシリーズに参戦。2戦目のエリック・ボンパール杯でGPシリーズ初優勝を飾り、GPファイナルでSP3位から逆転して初出場初優勝を果たした。しかし12月初旬から軽度の椎間板ヘルニアによる腰痛が酷くなり、国内選手権や冬季アジア大会を欠場した。世界選手権では、SPでISU歴代最高得点を記録して首位に立った。しかし、FSでは得点が伸びず、総合順位は3位となった。2007年初めからカナダに拠点を移し、ブライアン・オーサーにコーチを変更した。。オーサーのほか、デヴィッド・ウィルソンを振付師に、トレイシー・ウィルソンをスケーティングと表現力のコーチとするチームを組む。なお、オーサーにとっては金妍兒がコーチ転向後初の教え子である。オフシーズンには弱点である体力を強化するためのトレーニングに多くの時間を割いたという。また、「IMGコリア」とは2010年末までの長期契約を結んでいたが、契約を解除しIBスポーツと契約した。 2007-2008シーズン、GPシリーズ中国杯、ロシア杯と2連勝。ロシア杯のFSではIJS(ISUジャッジングシステム)の女子シングル歴代世界最高得点を記録した。GPファイナルでも2連覇を達成した。韓国で開催された四大陸選手権は怪我のため欠場した。世界選手権では、SPは5位と出遅れたものの、FSで追い上げ2年連続の3位になった。 2008-2009シーズン、長年悩まされていた腰痛と股関節痛が完治し、万全の状態でシーズンに臨んだ。GPシリーズスケートアメリカ、中国杯は他の出場選手に大差をつけて連勝した。地元の韓国で開催されたGPファイナルでは浅田真央に逆転され2位に終わった。四大陸選手権はSPで当時のISU歴代最高得点を更新し、初優勝を果たした。世界選手権ではSPで再びISU歴代最高得点を更新、2位に大きく差を付ける76.12点をマークした。FSでは後半のサルコウジャンプが抜け最後のスピンもノーカウントになる大きなミスを犯すもシーズン初の130点台を出し、総合得点は女子国際大会史上初めて200点の大台に達し初優勝。なお、同大会の開幕直前のTVのインタビューで「これまで競争相手の選手に試合直前の練習を妨害されてきた」と発言したことから騒動となった。 詳細は「金妍兒による練習妨害発言」を参照 2009-2010シーズン、3回転-3回転を今までのフリップ-トゥループからルッツ-トゥループに変更。GPシリーズエリック・ボンパール杯ではSPで76.08点をマーク。FSでは3回転フリップを跳ばないミスがあったがFS、総合得点共にISU歴代最高得点を更新し優勝した。スケートアメリカではSPのISU歴代最高得点を更新、FSでは3回転フリップで転倒するなどの大きなミスがあり、FSでは2位。SPで2位のレイチェル・フラットに大差を付けていたため総合得点では1位となった。GPファイナルではミスが続き、安藤美姫に続く2位スタートとなった。FSでもミスが続いたが総合得点で安藤を上回り、2年ぶり3度目の優勝を果たした。バンクーバーオリンピックでは、SP・FSともにISUジャッジングシステムでの歴代最高得点を更新して金メダルを獲得した。 五輪後、世界選手権では浅田真央に敗れ銀メダルとなった。SPではジャンプ、スピン、スパイラルでミスが続き精彩を欠いた演技で7位。FSでも転倒やジャンプが抜けるなどのミスが続いたがGOEやPCSで大きな点を得て1位となり、総合2位へと巻き返した。
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