バンクーバーオリンピック優勝後(2010-)
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「エヴァン・ライサチェク」の記事における「バンクーバーオリンピック優勝後(2010-)」の解説
五輪の後は世界選手権を欠場し、メディアの取材や故郷ナパーヴィルへの凱旋、ダンシング・ウィズ・ザ・スターズのシーズン10の為の社交ダンス練習や収録、ダンシング~と並行してスターズ・オン・アイスツアーなどに参加し多忙な日々を送っているが、現役続行も示唆している。ダンシング~ではロシア人プロダンサーのアンナ・トレブンスカヤと組み3組が残る決勝まで進み、準優勝となる。。 2011-2012シーズン、グランプリシリーズのスケートアメリカとエリック・ボンパール杯にエントリーしていたが、シリーズ開幕直前の10月14日、米国フィギュアスケート連盟(USFSA)がシリーズ欠場を発表した。USFCAの広報担当によると、金銭的な問題でUSFSAとの契約の合意ができなかったことが理由であるという。 2012年8月10日、2014年ソチオリンピックを目指して競技復帰を表明。GPシリーズスケートアメリカに出場を予定していたが、股関節痛のため欠場。さらに、11月中旬に行ったスポーツヘルニアの手術からの回復を待つために、全米選手権も欠場。 2013-2014シーズン、競技復帰を予定していたUSインターナショナルクラシックを腹筋の肉離れのために欠場。さらに左臀部の関節唇断裂が見つかったため、スケートアメリカも欠場。怪我からの回復が完全では無いことを理由に、ソチオリンピックへの出場を断念した。 2014年8月30日 NBCのインタビューで自身の今後については「アマチュアキャリアの終わりに近づいている」と述べた。ライサチェクはバンクーバーオリンピック優勝後に怪我や契約不合意などのさまざまな理由でアマチュア競技会には一度も出場しておらず、彼のエージェントも「ライサチェクの発言が彼の行きたい方向を示唆しているが、公式発表をする必要がある」としている。 2015年に怪我を理由に競技やアイスショーからは引退し不動産業の仕事にしばらく就いていたが、後に彼の衣装デザイナーを務めたヴェラ・ウォンのニューヨークの会社で移りそこで働いている。同じく引退してニューヨークの会社で働いている長年の友人のサーシャ・コーエンとは時々会っている。
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