スケート関係者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/21 10:17 UTC 版)
森山 優一(もりやま ゆういち) 亜季実の父。15歳で世界デビューし、カナダスケートコンクール日本人初の入賞。日本選手権5年連続優勝。冬季五輪ガルミッシュ4位入賞。世界で成功させた人のいなかった時代にトリプルを成功させたフィルムがある。絶頂期の昭和35年スケートを引退。全日本選手権前の合宿や沢田カップの前の合宿など、何回か亜季実らのコーチを行うが、普段は市営釧路リンクで子どもたちにスケートを教えている模様である。沢田の死後、スケート協会会長代行を務める。 森山 百合子(もりやま ゆりこ) 亜季実の母。華族の家柄に生まれ育ち、父親はソビエト日本大使。優一がソビエト留学中に知り合う。亜季実がバッジテストの4級を取得した日(12月30日)に逝去。 沢田 源三郎(さわだ げんざぶろう) スケート協会会長、優一がおこした事故のため、選手生命を断たれる。百合子への想いが断ち切れず、独身。国際フィギュア・ジャパン・カップの準備中、心不全で逝去。 宇都宮(うつのみや) シルバー・リンク・クラブでの亜季実のコーチ 嵯峨島 操(さがしま みさお) ペアスケートの先駆者。無理なトレーニングで配偶者でもありペアの相手の幸子を亡くしたことで選手生活を断念し、ソビエトでコーチ修行を行う。亜季実が貢とペアを組んだ直後からのコーチ。アランフェス協奏曲をBGMとした高度なペアスケートプログラムを2人に渡してソビエトに戻る。
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